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Your search : [ author:徐敏] Total 6 Search Results,Processed in 0.073 second(s)
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1. 珠江の変貌
今度の南への旅で、わたしがまず訪ねたのは華南一の大都市広州(クワンチヨウ)だつた。広州へ着いたのは、ちようど初夏の頃で、北方なら、春の花も盛りを過ぎて、綠の若葉の萌え出るころだが、ここでは、いろんな花が咲きみだれているのに、もう木々の綠が涼しげな陰をつくつている。わたしをのせた深紅色の車体の自動車は、綠の並木道を走つていつた。車窓からみると、朱や綠に塗りこめたあちこちの建物の門前に棕櫚の木が亭々と
Author: 徐敏 Year 1959 Issue 8 PDF HTML
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2. 故郷の湛江に帰つて
四月二十六日の夜、珠江(チユウチヤン)の河面は細雨に煙り、江水は白く波の花をさかせていた。わたしの乘つた「花尾渡(ホワウエイトー)」(小型の汽船でひつぱつてゆく大型の木造客船)はゆつくりと広州(クワンチヨウ)を出て珠江を下つてゆく。こうして、わたしはいよいよ湛江(チヤンチヤン)への旅にのぼつたのだ。湛江はわたしの故鄕であり、こんど広東(クワントン)をおとずれた機会に、十九年ぶりに故鄕の土を踏むと思
Author: 徐敏 Year 1959 Issue 9 PDF HTML
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3. 広西省東蘭をおとずれて
湛江(チヤンチヤン)でたのしいメーデーをすごした私は、その翌日黎湛(リーチヤン)(黎塘(リータン)―湛江)線で広西(クワンシー)チワン(僮)族自治区の首都南寧(ナンニン)へやつてきた。中国の南のはずれにちかい、邕昌江(ユンチヤン)江畔のこのものしずかな町は、すぐおとなりの兄弟国―ベトナム民主共和国といくらもはなれていない。ひとたび広西に足をふみ入れると、私はおぼえず敬虔な氣持になつた。それは、かの
Author: 徐敏 Year 1959 Issue 10 PDF HTML
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4. 天下の絕景桂林を訪ねて
江(こう)は靑羅(せいら)の帶(おび)を作(な)し 山(やま)は碧玉(へきぎよく)の簪(さん)の如(ごとし)
Author: 徐敏 Year 1959 Issue 11 PDF HTML
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5. 曹操
……曹操というと、すぐに『三国志演義』を連想し、それからまた芝居の舞台にあらわれるあの隈取りをした奸臣を思い出す。だが、それは曹操を観察する正しい方法ではない。……実は、曹操は大へん才幹のある人物で、少なくとも英雄というべき人であった。 ―魯迅慧眼よく英雄を識る東漢の末期といえば西暦紀元二世紀の中葉であるが、その頃漢の朝廷では宦官が権力をほしいままにして、正直の士を殺害し、農民を収奪していたため、
Author: 徐敏 Year 1963 Issue 6 PDF HTML
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6. 肥水の戦い
中国の歴史には寡兵をもって衆敵を制し、弱兵をもって強敵をたおした例が少なくない。肥水の戦いは中国人のあいだによく知られているそうした戦役の一つである。秦·晋の対立肥水(フエイシユイ)は安徽(アンホイ)省を流れる淮河(ホワイホー)の支流で、その西岸にふるい寿陽(シヨウヤン)城がそびえている。いまから一千五百余年まえ、この肥水のほとりで東晋の青年軍事家謝玄(シエシワン)は、八万の軍勢を指揮して、総勢百
Author: 徐敏(シユイミン) Year 1963 Issue 9 PDF HTML