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Your search : [ author:孫機 史石] Total 115 Search Results,Processed in 0.099 second(s)
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1. 元·ジンギスカン陵の馬鞍
草原文明をつくり出した中国の北方騎馬民族は、古代史上、つぎつぎに雄壮な活劇を演じた。輩出した騎馬の英雄のなかでも、ジンギスカン(一一六二~一二二七)こそ一代の天驕と称すべきだろう。かれは蒙古の大砂漠を統一するとともに、鉄蹄でヨーロッパ·アジア大陸を踏破した。その功罪はすべて馬上より出ている。内蒙古オルドス高原エジンホロ旗ガンデル敖包(オボ)のかれの山陵にしても騎馬と関連がある。かれがここを通ったと
Author: 孫機 史石 Year 1983 Issue 10 PDF HTML
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2. 唐·薩珊銀胡瓶
カラーグラビア参照中国の芸術史上、唐代はきわだって美しい花が開いた時期である。書道、絵画、彫刻などはもちろん、工芸品についても、この時期につくられた器物は、豊満で明るい造型、優雅ではなやかな紋様などが後世から称えられている。漢代までの工芸品には、殷·周いらいの重々しく神秘的な色合いが、濃く残されているが、唐代の作品になると、一転して清新な息吹きが感じられる。これは、中国の芸術それ自身の歴史的発展に
Author: 孫機 Year 1984 Issue 3 PDF HTML
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3. 唐·袖珍銀薫球(超小型の銀製球状香炉)中国における薫香の歴史
カラーページ参照薫香は、古代中国でかなり長期にわたって行なわれていた習俗である。大昔はもっぱらその土地に産する香草をもやさしていたが、紀元前一一一年以後、東南アジアへの門戸が開かれ、熱帯地方の沈香(ちんこう)、薫陸(くんろく)、伽羅(きやら)、竜脳(りゆうのう)など上等な香料が伝来した。広州、長沙などの漢墓から蓋のある香炉が出土しており、中原地区でもさらに精緻な「博山香炉」が発見されている。こうし
Author: 孫機 Year 1984 Issue 4 PDF HTML
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4. 唐·掐絲練団花金杯
カラーグラビア参照団花金杯は現代の湯飲み茶碗によく似ているが、実は、茶器ではなく酒器である。この団花金杯は、陝西省の省都·西安市の何家村から出土したもので、高さは五·九センチ、口径は六·八センチ。金製で、唐代中期のものと推定されている。唐代中期には、喫茶の習慣がかなり普及していたが、当時飲まれたのは、主に抹茶だった。茶の葉を粉末に碾(ひ)いてから茶碗に入れ、熱湯を注いで飲用に供した。茶碗のほとんど
Author: 孫機 Year 1984 Issue 9 PDF HTML
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5. 「元謀人」―中華民族の祖先
北京人から元謀人へ中国の歴史はどこから書き始めたらよいのか。それは、中国の歴史を専攻する古今東西の学者が直面する第一の課題であった。「漢代の大歴史家―司馬遷は、その著『史記』の冒頭に、伝説の五帝本紀をおいた。いらい二千余年、多くの史家はそれにならい、中華民族は黄帝の子孫であるということから説きおこしてきたのである。一九二九年、北京市郊外の周口店にある龍骨山で猿人の頭蓋骨の化石が発見され、「中国原人
Author: 史石 Year 1977 Issue 6 PDF HTML
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6. 漢族の前身―華夏族
中国は五十あまりの民族からなる多民族国家で、八億の人口を擁している。その中、漢族がおよそ九四%を占めている。漢族という名が起こったのは、二千年以上前、中国に漢王朝が成立してからであるが、漢族自身が中国大陸にあらわれたのは何も漢の時代からというわけではない。漢族の前身は、はるか昔の古代のころから、ながい年月にわたって、しだいに形成されていったのである。それは華夏族と呼ばれている。華夏族のおこり大体新
Author: 史石 Year 1978 Issue 4 PDF HTML
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7. 原始社会
北京原人と元謀原人中国の歴史の起源一九二一年から二三年にかけて、北京から西南へ四五キロの周口店で、多くの考古学者たちがかなり大きな石灰焼き場で洞窟を発掘した。かれらはいくつかの石器とすでに化石となった人間の歯を三個掘り出した。数年後にまた、外の人が発掘にやってきて、いくつかの人骨化石、さらには数千点に及ぶ石器と堆積した灰などを発見した。科学者たちは宝物を手に入れたように、この上もなく喜んだ。それは
Author: 史石 Year 1979 Issue 1 PDF HTML
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8. 文明時代のはじまり
「文明の祖」―黄帝新制度誕生の陣痛伝説では、およそ五、六千年前の中国の大地には、北方に狄族が、西方に羌族が、南方に苗族が、東方に夷族などが、それぞれ住みついていて、すでに活況を呈していたという。東方夷族に蚩尤という有名な首領がいた。けもののような体つきだが、人間の言葉を話し、砂や石を食べ、金で作った武器をもち、さらに霧を発生させることもできるので、戦いとなれば、かなり手強い相手となる人物である。黄
Author: 史石 Year 1979 Issue 2 PDF HTML
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9. 商王朝の盛衰
夏王朝を滅ぼした成湯革命商王朝の勃興四〇〇〇年余りの昔、ちょうど夏王朝が黄河の中流一帯で発展しつつあった頃、東方では強大な部族である「商」(殷)が勃興したと伝えられている。「商」の先祖である契は、かつて禹の治水工事に協力して、目覚ましい功績を立てたことにより、商地方の統治をまかされた。伝説では、契の母親である簡狄は燕の卵を呑んで懐妊し、契を生んだと言われる。卵より生まれたといった伝説は東方の少数民
Author: 史石 Year 1979 Issue 3 PDF HTML
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10. 周王期の興亡
周王朝発祥の地―周原始祖は後稷周原は陝西省を流れる渭水以北の黄土高原にある。その平原は岐山のふもとに広がり、現在の扶風と岐山と鳳翔の三つの県にまたがっている。三、四千年の昔、ここは周王朝発祥の地であった。伝説によると、周王朝は「禅譲」時代の農業をつかさどっていた長官の後稷(こうしよく)(名は棄)の子孫であり、十三代目の古公亶父(たんぼ)(太王)の時になって、今の陝西省の中部にあった周原に移って定住
Author: 史石 Year 1979 Issue 4 PDF HTML