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Your search : [ author:唐忠朴] Total 21 Search Results,Processed in 0.102 second(s)
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1. 芸術に結ばれる友情
四月の北京(ペイチン)は春光にみちあふれている。中国京劇院練習場の舞台で若くてきびきびした二人の俳優が、京劇の立ち回りを熱心に練習している。この二人は京劇を学ぶためにはるばる海をわたつて中国に来られた日本の前進座の歌舞伎俳優高瀬精一郎氏と嵐芳夫氏である。前進座は、中国の京劇「野猪林」をもとにしてつくつた「水滸伝」を今年の一月東京で公演して、きわめて大きな成功をおさめた。各界にわたる日本の観客の要求
Author: 唐忠朴 Year 1961 Issue 7 PDF HTML
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2. 黄金の穂波
秋風が吹きそめ、いい天気がいく日かつづいた。四川(スーチワン)省西部の平原はいちめん黄金色である。さんさんとふりそそぐ日の光をうけて、はてしない稲田は見わたすかぎり黄金色の穂波をうつている。収穫の喜びにみちあふれたこの初秋、わたしは米所として聞こえる四川省新繁(シンフアン)県新民(シンミン)人民公社を訪れた。新民人民公社は四川省西部平原の中部にあり、成都(チヨントウ)から北へ約三〇キロも行けばこの
Author: 唐忠朴 Year 1961 Issue 12 PDF HTML
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3. 収穫ごの農村をたずねて
さわやかなみのりの秋を迎えて、わたしは農村の取り入れの状況を見ようと、北京(ペイチン)をあとに南方へむかった。中国の水稲には早稲、中稲、晩稲の三種があって、九月の中旬から下旬にかけてが中稲の刈り入れどきである。武漢(ウーハン)から船で揚子江(ヤンツーチヤン)をさかのぼり、中稲の主な産地のひとつである四川省(スーチワン)にむかった。四川は俗に「天府の国」とよばれ、中国の穀倉の一つである。ところが、こ
Author: 唐忠朴 Year 1962 Issue 12 PDF HTML
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4. かつての人間地獄をあばく
次の世代を苦難から救わんと思えばこそ われは願う 床のくちおちるまで この獄房に座りつづけんことを小説『紅岩』をよんでから、いつもこの詩がわたしの脳裏に浮かび、忘れ難いものになってしまった。この小説は、解放前、アメリカと蔣介石の特務のために捕えられて四川(スーチワン)省重慶(チヨンチン)の中米合作所強制収容所に投じられた革命家が敵と雄々しくたたかった事実をえがいたもので、作者は敵の支配が崩壊する直
Author: 唐忠朴 Year 1963 Issue 3 PDF HTML
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5. 梅花図を百点あつめた 陳叔通氏
全国人民代表大会常務委員会副委員長の要職にある陳叔通(チエンシユウトン)氏は徳望の高い老政治家であるが、書画の収集家としても知られている。書画の鑑定にすぐれ、収集をはじめてもう数十年になるだけに、その所蔵品のなかに珍品が少なくなく、なかでも梅の絵がもっとも多い。さきごろ、陳氏のお宅をたずねる機会のあった記者は、秘蔵の書画を拝見し、大いに見識をひろめることができた。好古癖春の雪があがった日だった。古
Author: 唐忠朴 Year 1963 Issue 6 PDF HTML
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6. 忘れられない40日
七億の中国人民の日本人民にたいする戦闘的友誼をたずさえて、中国卓球代表団は三月二十一日、日本の土をふんだ。そして、名古屋で開かれた第三十一回世界卓球選手権大会に参加した。そのあと大阪、京都、神戸、福岡、札幌、横浜、東京などを訪れ、日本の選手と交歓試合をおこない、楽しく有意義な四十日間をすごし、メーデーの前夜帰国の途についた。それはまったく忘れられない日々であった。くる日もくる日も、あたたかい友情に
Author: 唐忠朴 Year 1971 Issue 7 PDF HTML
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7. 友誼の花を咲かせよろ!
新しい風格と新しいレベル四月の日本といえば春もたけなわである。桜が満開のこの時期に、五十余の国と地域から集まった五百余名の卓球選手が、日本の古都―名古屋で、二年にいちどひらかれる世界卓球選手権大会を挙行した。三月二十八日から四月七日までの十一日間にわたってひらかれた、この第三十一回世界卓球選手権大会は、人びとの心をうたずにはおかないみごとな技と友情あふれる情景とによって、忘れられない印象を人びとに
Author: 唐忠朴 Year 1971 Issue 60 PDF HTML
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8. 語りつくせぬ友情
日本民主青年同盟代表団が中国を訪れた機会に、代表団の方方をたずね、膝をまじえて話しあうことかできた。それはちょうど代表団の方々が延安(イエンアン)、三門峡(サンメンシヤー)、洛陽(ローヤン)などをまわり、数千キロの長途旅行をおえて北京(ペイチン)にかえってこられた翌日だった。十二月のはじめの土曜日の午後、新僑(シンチヤオ)飯店の小ざっぱりしたある一室で、日本の友人六人とわたし、それに同僚の安淑渠(
Author: 本誌記者 唐忠朴 Year 1962 Issue 2 PDF HTML
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9. 愛国の老人 故沈鈞儒氏
沈鈞儒(シエンテユンルー)氏は九十歳の高齢をもって長逝された。生前、氏は全国人民代表大会常務委員会副委員長、中国民主同盟主席をつとめていた。氏がなくなるすこしまえに、記者はいくどか氏の家をたずねて、氏の訪問記を書きかけていたのに、はからずもそれが完成するまえに氏は病にたおれ、われわれのもとを去ってしまった。記者はかつて老人の書斎に長いことすわりこんで、氏が平生もっとも愛しておられるさまざまの奇石を
Author: 唐忠朴(タンチユンプー) Year 1963 Issue 9 PDF HTML
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10. 北京の人気をさらった「わらび座」の公演
日本民族歌舞団わらび座の公演が、北京(ペイチン)で絶賛をあびた。ふつう外国の芸術団体の公演は、“めずらしさ”が先にたつが、わらび座は、それいがいの何物かを、強く中国観衆に示したようだ……北京の秋の空のすばらしさは世界でも定評がある。その秋のからりと晴れた昼過ぎだった。北京近郊の四季青(スーチイチン)人民公社の公会堂のあたりには、農民たちが三々五々あつまって、そわそわしながら語りあっていた。「どんな
Author: 唐忠朴(タンチユンプー) Year 1963 Issue 12 PDF HTML