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Your search : [ author:写真 王徳英] Total 3401 Search Results,Processed in 0.098 second(s)
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1. 恒久平和を祈念して万里の長城に桜を植樹
五月十二日、一際高い歓声が上がった。からからに乾いていた北京市一帯に、待望の雨が降ったのだ。これで大地は生気を取り戻すだろう。坂本敬四郎氏(写真下右1)を団長とする第八次日本桜友誼林建設実行委員会の一行は、降りしきる雨のなかを、北京市郊外の八達嶺に向かった。八達領は北京市内から七十キロ、昔から万里の長城を見学する地点として有名な場所であり、一行はこの長城を見上げる居庸関経済開発区の中に、二十八本の
Author: 写真 王徳英 Year 1995 Issue 9 PDF HTML
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2. 第二の解放人民公社の婦人隊長は語る
わたしは、ありふれた農村の女で、七人の子の母親です。わたしの村は人民公社ができてから、すつかり樣子がかわりました。わたしじしん、公社のおかげでどんなに仕合せになつているか、これは三日三晚かけてもお話ししきれないくらいです。わたしのところは一〇人家族ですが、夫は解放まえのひどい野良仕事の無理がたたつて、五年まえから寝たつきりです。夫が寝こんだとき、小学校にかよつていた長男の兆金(チヤオチン)と次男の
Author: 王徳英 Year 1960 Issue 1 PDF HTML
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3. 南京の今昔を現地に見る
南京は江蘇省の省都。広大な長江下流域平原にあり、「黄金水道」長江が市内をゆったりと流れる。市街区は947平方キロ。人口260万。中国六大古都の一つである。紀元前472年、戦国時代越の国王勾践が呉を滅ぼした後、最初の城壁を築いた。以来2467年の歴史は、古都文化の光輝と共に、50余年前世界を震かんさせた大惨劇―南京大虐殺を記した。1937年12月、日本侵略軍が南京を占領、武器を捨てた国民党軍将兵と一
Author: 写真 劉大健 王徳英 魯忠民 資料提供 中国侵略日本軍南京 大虐殺受難記念館 Year 1995 Issue 8 PDF HTML
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4. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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5. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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6. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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7. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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8. 中日間を結ぶ定期客船「鑑真」号
「鑑真」号は、1985年7月6日に就航してから、週に一往復、神戸―上海、上海―大阪間を通っている。写真は、上海·黄浦江をさかのぼる「鑑真」号船上から。
Author: 写真 王?晋 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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9. つごう二百余名が一堂に。栄家一族、めでたく“大団円”。
エコノミストならずとも、中国経済に関心ある方なら、ご存知でしょう。栄毅仁(ロンイーレンー)氏。一九五〇年代に、「紅色老板」(赤い資本家)の異名(えいきじん)までとった、中国経済界の“立て役者”です。栄家一族は、今世紀のはじめ、父親の代に、四つの石臼から製粉業を興し、三〇年代には、故郷の無錫をはじめ、上海、済南などに、製粉、紡績、機械などの工場をもつ、中国有数の民族資本をうちたてました。一九四九年、
Author: 写真 李平 Year 1986 Issue 10 PDF HTML
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10. サブちゃんの心配は無用。本場の演歌に湧いた満場の拍手。
昨年の十月四日。北京秋天。天安門広場。保母さんに連れられた幼稚園児にまじって、お一人、サングラスの“中年男”が北京の秋を“たんのう”している図。様(さま)にならない、って?いいえ、様になっております。この日、五十歳の誕生日をむかえた北島三郎さん、しばし童年にかえって、すぎこしかたを想いやっていらっしゃる。「そう、もう五十の坂ですものね。歌手生活二十五年。振りかえれば、短くもあり長くもあり……ですか
Author: 写真 馮進 Year 1987 Issue 1 PDF HTML