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Your search : [ author:写真 李佩雲] Total 3403 Search Results,Processed in 0.106 second(s)
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1. 中国和歌俳句研究会の設立祝って 紹興は蘭亭で曲水の宴
今年の四月三十日、杭州大学を会場に、中国和歌俳句研究会の成立大会と、会の成立を祝う「歌俳詩(和歌·俳句·漢詩)国際シンポジウム」が開催された。近年、中国の文化人、学者、詩人の間に日本の和歌·俳句の研究が静かなブームを呼んでいる。実証的な研究や作品の翻訳·紹介がすすむ中で、「漢俳」「漢歌」と呼ばれる、五、七、五字三行、五、七、五、七、七字五行の短詩が詠(よ)まれるようになり、研究者を中心に、この短詩
Author: 写真 李佩雲 Year 1990 Issue 10 PDF HTML
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2. 大学生になった七人の子のお母さん
新中国では母親が大学で勉強しているという話はべつに耳新しいことではない。しかし、七人の子の母親で、革命に参加して約二十年になる婦人が大学に入り、四年間も欠席せずがんばりつづけ、あと数カ月で卒業するという話を聞いて、私はおどろきの目をみはった。長年革命に参加して仕事にも明るい人が四十歳になって、どうして大学に入ってまなぶ気になったのかしら、七人の子を育て、十人家族の一家をまかなう主婦がどうしていそが
Author: 李佩雲 Year 1962 Issue 3 PDF HTML
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3. 機関車のドクター
陳発(チエンフア)さんの名にはじめて接したのは、三年まえのことだった。一九五九年三月九日の『北京日報』は、中国の社会主義建設に力をつくし、思想的にもすすんだ技師、科学者、芸術家が中国共産党に入党したことを報じた。その名誉ある人びとの名の中に陳発さんの名もあった。翌年の一九六〇年七月に、また陳発さんの名に接した。それは、社会主義建設に邁進する長辛店(チヤンシンテン)機関車·車両工場の人びとの活躍ぶり
Author: 李佩雲 Year 1962 Issue 7 PDF HTML
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4. 日本人専門家横川辰子さんの米寿を祝う
去る四月一日の夕方、『人民中国』雑誌社が主催した「横川辰子先生の米寿を祝う会」が北京のメディア·センターで盛大に行われた。黄華·宋慶齢基金会主席、朱穆之·中国対外文化交流協会会長、張香山·中日友好二十一世紀委員会首席委員、中国国際交流協会副会長、孫平化·中日友好協会会長、劉徳有·中華日本学会会長、中国対外文化交流協会副会長や国家外国専門家局、中国外文局の指導者および横川辰子先生の古くからの日本友人
Author: 李佩雲 Year 1996 Issue 7 PDF HTML
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5. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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6. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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7. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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8. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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9. 中日間を結ぶ定期客船「鑑真」号
「鑑真」号は、1985年7月6日に就航してから、週に一往復、神戸―上海、上海―大阪間を通っている。写真は、上海·黄浦江をさかのぼる「鑑真」号船上から。
Author: 写真 王?晋 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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10. つごう二百余名が一堂に。栄家一族、めでたく“大団円”。
エコノミストならずとも、中国経済に関心ある方なら、ご存知でしょう。栄毅仁(ロンイーレンー)氏。一九五〇年代に、「紅色老板」(赤い資本家)の異名(えいきじん)までとった、中国経済界の“立て役者”です。栄家一族は、今世紀のはじめ、父親の代に、四つの石臼から製粉業を興し、三〇年代には、故郷の無錫をはじめ、上海、済南などに、製粉、紡績、機械などの工場をもつ、中国有数の民族資本をうちたてました。一九四九年、
Author: 写真 李平 Year 1986 Issue 10 PDF HTML