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王陽 津生 朝璽] Total 3401 Search Results,Processed in 0.108 second(s)
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1. 天津 装いも新たに
1976年7月の唐山大地震によって、天津市は市内の建物の70%が程度の違いこそあれ、損傷するという大災害に遭った。住むに家なく、仮小屋生活を余儀なくされた市民は十数万に及んだ。1979年から“自分たちの都市は自分たちの手で”と、官民一致協力して徹底的な都市改造に取り組んだ。この8年間に新築された住宅は2000万平米にのぼり、すでに100万の市民が入居している。汚濁で有名だった海河の両岸はベルト状の
Author: 写真 支柱 関平 岩青 王陽 津生 朝璽 Year 1987 Issue 8 PDF HTML
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2. 外国製品崇拝ばかりが能じゃない国産B超 世銀から受注
エレクトロニクスの発達に伴って、X線CT、マイクロウエーブ画像などと同様に、最近、超音波の医学への応用がめざましい。外国製品なら何でもありがたがる風潮が根強いが、医療器械も例外ではない。多くの医療機関で、争って外国製のBモード超音波診断装置(B超という)を輸入している折も折、世界銀行がおこなった国際入札で、中国産のB超が英、米、日本などとの競争に勝って落札した、というニュースが伝わってきた。世界銀
Author: 写真 支柱 Year 1990 Issue 4 PDF HTML
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3. 家族の一員になったカササギ天津の団地で幸せな日々
中国では、カササギは「鳴き声を聞くと良いことがある」といわれ、幸運を運ぶ縁起の良い鳥だと、信じられている。おととしの九月十四日早朝、天津市の団地に両親と三人で住んでいる女の子、趙瑩(チヤオイン)ちゃん(十二)の家に一羽のカササギが飛んで来た。窓ガラスをくちばしでコツコツ突っつくので、お母さんが中に入れてやると、床にポンと跳び下り、居間から寝室、キッチンへと家の中をひとわたり見て回った。突然の「お客
Author: 写真 常津生 Year 1995 Issue 10 PDF HTML
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4. オロチョン族の今のくらし
オロチョン族は世界的に注目されている民族のひとつだ。皮の服を着て肉を食べ、山林で狩りをする生活は昔から変わらない。勇敢でたくましく、苦労をいとわずよく働くことで知られている。生活する場所は、中ソ国境近くの大·小興安嶺。人口は5000人に満たず、“中国少数民族の中の少数民族”と言われている。人口は少ないが、歴史は長く、1500年前の南北朝時代の室韋部落人の末裔。30年前まで世間から隔絶された原始生活
Author: 写真 王陽 暁華 殿文 衛東 Year 1990 Issue 4 PDF HTML
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5. 「動物国宝」パンダはいま
中国にしか生息していないため、中国の「動物国宝」とされているパンダは、この地球上に生を受けてもう800万年以上になるという。しかし、その機能が著しく退化し、生息地の自然の生態系も変化したため、すでに野生のパンダを四川省、甘粛省、陝西省の3省に、わずか1000頭程度しかいないと推計されている。中国政府がこのパンダを「1級保護野生動物」に指定したのは、早くも7176平方メートルに及ぶ自然保護区を設け、
Author: 写真 蒲濤 周孟棋 王陽 Year 1994 Issue 3 PDF HTML
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6. 700万市民に甘い水―灤河の水を天津に引く
1983年9月11日の正式通水で、234キロの大水利工事を通って灤河の水が天津に達し、700万市民の塩水を飲む生活はついに終わった。
Author: 撮影 支柱 王佑生 Year 1983 Issue 12 PDF HTML
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7. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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8. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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9. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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10. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML