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Your search : [ author:作曲家 三木 稔] Total 12 Search Results,Processed in 0.132 second(s)
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1. 日中民族楽器きのうきょう
昨年十一月、第一回竜音杯中国民族楽器国際コンクールの筝(撥弦楽器。日本では十三弦が主流だが、中国では五弦に始まり、唐宋のころに十三弦となり、現代では二十一弦が広く普及している)の審査を頼まれて北京に行った。期待を超える若い人材を発見でき、国際的なソリストとして成長するであろう彼らと同時に、その作曲も随分洗練されて来たことを嬉しく思った。ここまでの二十年近い体験が、私の感動を倍加させたに違いない。*
Author: 作曲家 三木 稔 Year 2002 Issue 4 PDF HTML
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2. 着実にのびゆく中国の農業
穀物は史上最高の収穫昨年、中国の農業は十二年連続の豊作をかちとった。昨年度における穀物の収穫高は、史上最高だった一九七一年度のそれを上回った。一九七一年度における穀物の総収穫高は一九四九年度の二·二倍、二億五千万トンにたっした。昨年の春、中国では、北部は干ばつ、南部は冠水、その被害はきわめて大きかったが、そうした自然災害とたたかい、めざましい成果をおさめた。穀物のほかに、昨年は綿花、麻類、糖料、茶
Author: 粟稔成 Year 1974 Issue 7 PDF HTML
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3. 浅沼精神を守つてアメリカ帝国主義と闘う
私は、一昨年三月日本社会党第二次訪中使節団に加わつて、約十日間北京に滞在した。この度北京を訪れて、まず驚いたのは天安前門広場の変化である。しかし、それは城内城外にわたる新北京建設の一断面にすぎない。当時の使節団長であつた浅沼委員長が、この建設の状況を観たならば、必ずや手を拍つて喜んだに違いない。彼は、偉大なる中国と毛沢東主席に指導される中国人民に対して、限りない敬意と愛情を懐いていたからである。今
Author: 日本社会党国民運動委員長田中稔男 Year 1961 Issue 4 PDF HTML
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7. 京劇が実生活のなかに生きている。すべてがその舞台だった。
文·村松 伸(むらまつ しん)
Author: 写真·岩崎稔 コーディネイト·原口純子 Year 2002 Issue 9 PDF HTML
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10. 張永和
文·村松 伸(むらまつしん) 1954年生まれ。東アジア建築史·工学博士。78年東京大学工学部建築学科卒業後、81~84年清華大学留学を機に中国に淫す。著作に『中華中毒』など。本欄の題字、イラストも担当。張永和に出会ったのは、九四年ころだったろうか。ちょうどその頃、ぼくはアジアの現代建築家に会って、インタヴューする仕事を続けていた。ひとづてに彼の才能について知って、勇んで彼に面会を申し込んだ。この
Author: 文=村松伸 写真=岩崎稔 コーディネイト=原口純子 Year 2002 Issue 8 PDF HTML