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1. 梵浄山―神秘の原始林をいだいて
鳥居龍蔵博士(一八七〇~一九五三年)は、日本の著名な人類学者であり、考古学者である。徳島県に生まれ、一九〇二年七月には、調査のために新妻を日本に残して、中国の西南地方に赴いた。過酷な旅をものともせずに、貴州省少数民族の村にわけ入り、貴重な写真を数多く撮影。『苗(ミャオ)族調査報告』などの著書を世に出した。博士の視察から百年―。我々は彼の足取りをたどりながら、貴州のいまを取材した。平原のない省百年前
Author: 丘桓興=文 馮進=写真 Year 2003 Issue 1 PDF HTML
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2. 母なる河にはぐくまれ
鎮遠県は、貴州省の東部·黔東地区の要衝である。紀元前二百二年、漢の高祖(劉邦)が「無陽県」を置いたところだ。時代は下って一九八六年、鎮遠県は中国の「歴史文化県」に指定された。県下にある百九カ所の文物遺跡の中で、最も雄大かつ秀麗と目されているのが、国家級の文物保護単位「青竜洞」だ。古建築の博物館·青竜洞青竜洞は、鎮遠県城(県の中心地·?陽鎮)南部の中河山に位置する。敷地面積は二万平方メートル。ここに
Author: 丘桓興=文 馮進=写真 Year 2003 Issue 2 PDF HTML
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3. 太陽射止めた弓矢とともに
貴州省東部の施秉(しへい)県から西南へ五十キロほど行くと、黄平県である。同県の重興郷には、グージャー(?家)と呼ばれる人々が居住している。その美しい服飾や珍しい弓矢の崇拝、恋愛と結婚の習俗は、訪れた人々に忘れられない印象を与えてくれる。緑に覆われた木楼重興郷望壩村は、一面に棚田の広がる山の斜面に位置している。農作業の合い間には、男たちは竹細工を、女たちは刺繍やろうけつ染めなどの手工芸品を、それぞれ
Author: 丘桓興=文 馮進=写真 Year 2003 Issue 4 PDF HTML
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4. ミャオ族の銀の飾りがきらめいて
貴州省東部の台江県施洞は、清水江のほとりに位置するミャオ(苗)族の町だ。この地方一帯の渡し場であり、貨物の集散地でもある。人々はエンジンの付いた木造船に乗り、自動車は鋼鉄製のはしけ船に載せて河を渡る。今では、ここに鉄筋コンクリート製の大橋を建設するための資金集めをしているそうだ。河原に広がる市場町には河沿いに石畳の古道があり、さまざまな店が立ち並んでいる。この日は市(いち)の日ではなかったため、客
Author: 丘桓興=文 馮進=写真 Year 2003 Issue 5 PDF HTML
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5. 自動車と電気を生み出す「夜郎国」
安順は貴州省の中部、貴州高原の平地に位置する。早くから開かれた土地で、二千年前の戦国時代に、西南少数民族が地方政権をとった牂牁国(そうかこく)と夜郎国(やろうこく)の発祥地である。古代の成語に「夜郎自大(やろうじだい)」というが、それは昔、夜郎国の王が漢国の強大さを知らずに、尊大にふるまった故事によるものである。当時、西南地方の百を数える国のなかでは、滇国(てんこく)(雲南の地にあった古国)と夜郎
Author: 丘桓興=文 馮進=写真 Year 2003 Issue 6 PDF HTML
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6. ミャオ族の村に子ども授かる橋かける
貴州省東南部に位置する雷山県西江鎮(らいざんけんせいこうちん)は、四方を山に囲まれた町だ。山の斜面に沿うように民家が建てられており、軒がびっしり連なっている。白水河というひとすじの河がふもとを流れ、河辺と山の中腹に拓かれた緑の棚田が、遠くまで延びている。 中国では鎮(町)が末端の行政単位にあたり、村がその管轄下にある。西江鎮は南貴、羊排、卡陽(カーヤン)など十二の村の集まりで、合わせて約千百世帯、
Author: 丘桓興=文 馮進=写真 Year 2003 Issue 7 PDF HTML
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7. 大地を削る中国の「ナイアガラ」
「黄果樹瀑布(こうかじゅばくふ)」は、中国最大の滝である。黄果樹瀑布とその付近にある瀑布群、千姿百態の水上石林、プイ族が住む村落……。それらが、ともに組み合わされた国家クラスの「黄果樹風景名勝区」は、貴州省のなかで、もっとも旅人を引きつける観光名勝となっている。黄果樹瀑布はいまや、貴州省の代表的なイメージであり、シンボルとなっているのだ。黄果樹瀑布は、省都·貴陽市の西南百三十七キロに位置し、自動車
Author: 丘桓興=文 馮進=写真 Year 2003 Issue 8 PDF HTML
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8. 3000年眠りから覚めた青銅器たち
今年一月、中国の西北、陜西省のある農村で、二十七件の銘文の入った青銅器が一挙に出土した。鑑定の結果、この青銅器群は、今から約三千年前に栄えた西周時代に造られたもので、銘文には当時の王の系譜や社会の状況が記されていた。 「今世紀になってから最大の考古学上の発見だ」と、考古学や歴史学の研究者たちはこの発見に驚喜している。北京でも展示され、反響を呼んだ。
Author: 丘桓興=文 馮進=写真 Year 2003 Issue 9 PDF HTML
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9. 移住の歴史語る石造りの要塞の村
本寨は、貴州省の西部、安順市西秀にある村落の一つである。山水にとり囲まれて、青々とした水田がつづく。二百十世帯、人口八百五十人。この漢民族の村落は遠望すると、プイ族の石造りの村のようだ。村に入ると、まるで「軍事の要塞」である。村の手前に、防衛のために石を築いた堀がある。村の後ろに、厚くて高い石壁が築かれている。村の前方、後方、中央に、四階建ての「碉楼」(見張り用のやぐら)が七つ、そびえ立ち、村中を
Author: 丘桓興=文馮 進=写真 Year 2003 Issue 9 PDF HTML
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10. 山懐に抱かれた陽明学ゆかりの地
貴州省の竜場は、修文県の県城(県庁所在地)である。省都·貴陽市の北郊外四十キロの場所にある。その竜場から東へ一キロの「陽明洞」は、明代の思想家であり、大学者である王陽明の「竜場悟道(りゅうじょうごどう)」(竜場で道を悟る)のゆかりの地である。早速、訪ねてみることにした。王陽明は、字(あざな)は守仁(しゅじん)。一四七二年に、浙江省の余姚(よよう)に生まれた。かつて浙江省の会稽(かいけい)に、「陽明
Author: 丘桓興=文 馮進=写真 Year 2003 Issue 10 PDF HTML