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Your search : [ author:登山隊員 劉大義 撮影] Total 404 Search Results,Processed in 0.101 second(s)
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41. 河南紀行 その二 宋陵、石窟寺、奉先寺
河南省に遊ぶなら、竜門の石窟は、ぜひとも訪れたいところのひとつ。古都洛陽にほど近く、中国仏教美術の精華ともいえる石仏群は、見る者の心をとらえてはなさない。わけても、奉先寺の石仏は、唐代彫刻のなかでもひときわ輝く。さらに鞏県の宋陵、石窟寺まで足をのばせは、竜門とはまた別の趣をもつ石刻芸術に触れることができる。
Author: 撮影 狄華 Year 1983 Issue 10 PDF HTML
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42. ホフホト包頭イクヅォ盟
内蒙古のホフホト市を少し離れると、もう見渡すかぎりの草原である。あたかも青海原を船で行くようだ。蒙古包(パオ)に泊り、手づかみの羊肉を食べ、ラクダにのる……草原の情趣も十分味わえる。ホフホト市は、歴史と伝統を誇る塞外の名城。市内には五塔寺、昭君墓、白塔など古跡がある。廟宇に興味があるなら、包頭市近くの五当召(召=ジャオは蒙古語で寺院のこと)は、内蒙古で最大の、よく保存されたラマ廟である。包頭市から
Author: 撮影 狄華 Year 1983 Issue 11 PDF HTML
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43. 内蒙古の大草原で日中青年キャンプ
関西日中友好青年キャンプが、内蒙古の大草原で開かれた。「蒙古パオ」に住んでの豊富多彩な生活―乗馬や蒙古族の踊りを学ぶ者、相撲着をつけて、蒙古族の若者と相撲の試合をする者……、蒙古族のパオでは、「奶茶」や「奶子酒」に舌つづみ……。はじめての「草原体験」とあって、興奮のためか若者たちは夜もなかなか寝つけなかった。
Author: 撮影 蜀子 Year 1983 Issue 11 PDF HTML
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44. 黒竜江紀行 その1
黒竜江省の省都ハルピンは松花江中流の川岸にある。総面積1637平方キロ、人口l254万。880余年の歴史をもち、満州族の祖先女真族がここに村を建てたのに発する。ここは寒温帯大陸性気候で、年の平均温度はセ氏3.5度、1月がもっとも寒く、月の平均温度はセ氏―19.4度。ま冬の季節になると、町のあちこちに氷の彫刻が出現し、樹氷の美しさは水晶宮をおもわせる。
Author: 撮影 狄華 Year 1984 Issue 1 PDF HTML
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45. 鏡泊湖と扎竜湖
牡丹江から斉斉哈爾(チチハル)にかけて有名な湖が二つある。一つは鏡泊湖、もう一つは扎竜湖である。鏡泊湖は東北辺境の新興工業都市牡丹江から約一〇〇キロ離れたところにある。一万年ほど前、火山の爆発によって河道がふさがれて形成された。湖の総面積は九〇·三平方キロ、西南から東北に向けてS字形を呈し、最深部は六二メートル、最浅部はわずか一メートル。静かで落ちついた風光をたたえ、盛夏や深秋に船で湖水を一遊すれ
Author: 撮影 狄 華 Year 1984 Issue 2 PDF HTML
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46. 全国の名コックさん大集合!
Author: 撮影 張威 Year 1984 Issue 2 PDF HTML
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47. 湘西紀行
湘西(湖南西部)といえば、中国の有名な画家黄永玉や作家の沈従文などの作品(とくに「辺城」)をつうじて、その美しい神秘にみちた世界にあこがれる人が昔から多かった。ところが、旧社会では、ここは土匪の巣窟で、殺人事件など日常茶飯事だった。行きたくても、恐ろしくて、とても近づけなかったところである。いまでは、鉄道、道路、水路が開通しむろん社会も安定したので、将来、魅力に富んだ旅遊区となろう。北京から汽車で
Author: 撮影 狄華 Year 1984 Issue 3 PDF HTML
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48. 松山バレエ団の訪中公演
日本の松山バレエ団は、中国の観客にとって、きわめてなじみぶかい存在だ。すなわち、一九五八年、中国の物語をバレエ化した「白毛女」の初公演いらい人びとに深い印象をあたえ、すでに前回の一九七八年までに訪中七回、各地での公演は、いずれも好評をよんでいる。その松山バレエ団の一行六十五名が、さる四月から五月にかけ、中華人民共和国建国三十五周年、北京·東京友好都市締結五周年を祝って、「ジゼル」「白鳥の湖」(第二
Author: 撮影 狄華 Year 1984 Issue 7 PDF HTML
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49. 松山バレエ団の訪中公演
Author: 撮影 狄華 Year 1984 Issue 7 PDF HTML
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50. 面目一新の琉璃廠(リュウリーチャン)文化街
琉璃廠文化街の地名は、明の永楽年間、ここに皇宮用の瑠璃瓦を焼く窯をおいたことに由来する。七百年の歴史のある由緒ある町である。文革前、ここは文化街として一応の規模をそなえていたが、10年の動乱ですっかり荒れ果ててしまった。その後5年の歳月をかけて、復旧と建設がすすめられ、今日、装いも新たにおめみえした。
Author: 撮影 狄華 Year 1985 Issue 1 PDF HTML