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Your search : [ author:写真·魯忠民 力強 文·魯忠民] Total 248 Search Results,Processed in 0.103 second(s)
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41. 昔をしのばせる大水車―蘭州
一路、黄河を甘粛省の劉家峡まで下ると、流れは緩やかになる。劉家峡には高さ一七〇メートルのダムが聳え、一三〇平方キロの広さの人造湖の水をたたえている。ここには一九七〇年代初め黄河に最初に建設された五五·八億キロワツト時の年間発電量の大型水力発電所があり、水は甘粛、寧夏、内蒙古の広大な土地の灌漑に利用されている。上流には著名な炳霊寺の石窟があり、西秦から元、明まで千年余にわたる見事な石刻と壁画は、ダム
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1996 Issue 4 PDF HTML
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42. 西夏王朝の盛衰の跡 寧夏
黄河は甘粛省から寧夏回族自治区に入ると、その北部を四九〇キロにわたって縦断し、流域面積は寧夏全域の九六·四%に達する。寧夏は面積六万六四〇〇平方キロとさほど広くはないが、山地、平原、砂漠、湖沼と、地勢はすこぶる変化に富んでいる。黄河はその平原をゆったりと蛇行し、水利にきわめて適している。黄河は古くから寧夏の生命の河だった。伝説の治水の英雄である夏の禹は、青銅峡の西岸に黄河の水を引き、用水路を造った
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1996 Issue 5 PDF HTML
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43. 豪快な英雄の子孫たち オルドス草原
黄河は寧夏平原を過ぎ、賀蘭山の支脈を通り抜けると、ゆるやかに内蒙古自治区の平原に入る。ここで北を陰山に阻まれ、流れを東に転じ、黄河の上·中流の分岐点のトグトでまた南へ向きを変え、内蒙古で黄河は逆U字形を描く。U字形に包まれた平原の南には広大なオルドス草原が広がる。オルドス草原は行政的にはイフジュ盟に属し、東、西、北は黄河を、南は長城を境とし、面積は約一三万平方キロ。東部は平原、西部は砂漠が多く、中
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1996 Issue 6 PDF HTML
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44. 古代を刻む三万の岩画 烏海
内蒙古に入り西山嘴までの平原は、古くから潅漑が行われてきた。二千年以上前の戦国時代、魏と趙が黄河の両岸の開墾を始めた。秦·漢代には何回にもわたる大規模な移民が黄河の水を潅漑に用い、唐代にはさらに拡大した。今世紀の六〇年代、大型プロジエクトの三盛公水利工事が始まり、黄河をせき止めて長さ二千メートルを超すダム、十八の電動式水門が毎秒五百立メートル方余の水を取り入れている。四百キロの長さに及ぶ幹線水路が
Author: 文 写真·魯忠民 Year 1996 Issue 7 PDF HTML
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45. 鉄都と史都包頭、ホフホト
勅勒(ちよくろく)の川 陰山の下 天は穹廬(きゅうろ)に似て 四野を籠蓋(ろうがい)す 天は蒼々として 野は茫々たり 風吹き草低(た)れて牛羊を見る北斉の詩人斛(こく)律金の著名な詩『勅勒歌』は、すでに千五百年前に内蒙古のトゥム川平原で栄えた牧畜と壮大な風景をうたっている。黄河は内蒙古自治区の平原を東流し、自治区最大の都市、草原の鉄都として知られる包頭に至る。蒙古語で「鹿のいる所」の意味を持つこの
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1996 Issue 8 PDF HTML
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46. 黄色い大地晋陝峡谷
黄河は内蒙古のトグトを過ぎると中流地域に入る。東流して呂梁山に阻まれ、一転南へ向かい、鋭い剣のように黄土の高原を両断し、深々とした峡谷となる。河口鎮から禹門口まで、黄河は七二五キロ流れて海抜約九〇〇メートルから三〇〇メートルまで下降する。河を挟んで陝西、山西(古代の晋国)両省が接しているので、晋陝峡谷と呼ばれている。黄河両岸の晋陝地区は典型的な黄土高原で、地肌のあらわな峡谷と分割された畑地である。
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1996 Issue 9 PDF HTML
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47. 激流の谷から中原へ―壺口、竜門
黄河は晋陝峡谷を四百余キロ流れて有名な壺口の滝に至る。壺口の両岸は百五十メートルを超す崖がそそり立ち、西側は陝西省の宜川県、東側は山西省の吉県である。陝西省の境界を走る山道を一路下ると、黄河の河幅は下るにつれて狭まっていく。竜王迪から進むと二、三百メートルもあった河幅がにわかに狭まり、幅わずか数十メートルの地形に入り、遠くから眺めると急に溝に入るかのようだ。曲がりくねった流れが壺口に達すると、黄色
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1996 Issue 10 PDF HTML
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48. 災害と治水の歴史 河南
黄河は河南省孟津で峡谷を出て、南岸の山地と北岸の平原の間を行く。このあたりから下流となり、広い河幅を悠々と流れ、河口までの七九〇キロの両岸は水上の長城というべき延べ一三〇〇キロの堤防が続く。測量によれば、黄河は毎年下流に一六億トンの土砂を運び、一立方メートル中に最大七四六キロの土砂を含むときもある。この土砂の四分の三は河口に洲を造り、四分の一は下流で毎年一〇センチ前後沈殿する。長年の間に下流の水面
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1996 Issue 11 PDF HTML
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49. 黄河デルタは未来の地山東省
河南省三門峡から黄河沿いに車で走ると、次第に黄土高原を抜け、平野と丘陵地帯に入る。道路は走るにつれて幅広く一直線になり、人家も密集してくる。中原の古都洛陽から開封へ、かつての斉や魯の国を通ってボタンの里·荷沢から泉で名高い済南へ、孔子廟のある曲阜から五岳のひとつ泰山へ―黄河中·下流に沿うこの道は、絶えず古代文明の栄光を思い起こさせる。黄河は山東省内では六〇〇余キロ流れ、墾利県からの河口部分は流れが
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1996 Issue 12 PDF HTML
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50. 今に生きるキャラバン
中国の西南部にある雲南·貴州高原―。その険しい地形の中に、一本の曲がりくねった古道を見つけることができる。道に敷かれた石畳の上には馬蹄の跡が刻まれているが、それは数百年もの間、行き来したキャラバンの痕跡である。キャラバンは昔、西南部山岳地帯の主な運送手段であった。ラバや馬などに荷を積んで運ぶ運送隊のことを言う。その形態は、暮らしの中でだんだんと作られていった。雲南·貴州高原の交通の歴史には、もとも
Author: 文·写真·魯忠民 Year 2002 Issue 3 PDF HTML