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Your search : [ author:王浩=文 楊振生=写真] Total 111 Search Results,Processed in 0.086 second(s)
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31. 「人民に奉仕する」地味な仕事をこなす
生まれ育った北京郊外の農村は、国家により土地が収用されたため、村人たちは市街地へ移住した。その際、国家は若者たちを就職させ、孫志広さんは公衆トイレの清掃員となった。この仕事を始めたばかりのころは、不満でいっぱいだった。でも、辞めることはなかった。もし辞めてしまったら、村人たちから「トイレさえ掃除できないのに何ができる?役に立たないヤツだ」と言われてしまうからだ。また、自分はまだ若い。チャンスはいく
Author: 楊振生=写真·文 Year 2006 Issue 4 PDF HTML
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32. 父親の願いを受け入れ40歳で歯医者さんに
張煕さんは代々歯科医の家庭で生まれ育った。一九二二年、曽祖父が北京の天橋の近くに歯科診療所を開いた。現在は父親が三代目として受け継いでいる。父親は張煕さんにも歯科医になってほしいと願った。しかし張煕さんは当時、野菜の鮮度を保つ技術員として成功していたため、その研究を続けたいと考え、父親の願いを拒んだ。しかし父親はあきらめきれず、やはり歯科医になっている自分の弟などと一緒に、診療所の後を継いでほしい
Author: 楊振生=写真·文 Year 2006 Issue 5 PDF HTML
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33. 新婚ホヤホヤ「足るを知る」を知る
自分のことを、夢があり空想することが大好きな、ありふれた女性だという。ファッション雑誌を愛読し(毎月平均して二百元程度費やす)、ショッピングが好きで、流行の安い洋服を見つけるのが得意だ。勤め先の「北京四聯美髪センター」は、「中華老字号」と呼ばれる老舗の国営企業。前身は一九五〇年代初頭、上海の四つの理髪店が集まってできた「四聯理髪館」で、五六年に北京へ移ってきて現在の名前に変わった。常さんは職業訓練
Author: 楊振生=写真·文 Year 2006 Issue 6 PDF HTML
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34. 「テレビに出たい」幼い頃からの夢実現
幼い頃から歌ったり踊ったりすることが大好きだった尚皓さん。学校で行われるこの種の活動にはすべて参加し、一番積極的だったという。「人から注目されるのが好きなのです。目立ちたがり屋なんでしょうね。芸能人になってテレビに出ることを夢見ていました」と笑う。もちろん、二十歳を過ぎた今は、現実はそんなに甘くないことを知っている。現在は月給千三百元(約一万八千円)で携帯電話を販売する毎日だ。それでも、友人とショ
Author: 楊振生=写真·文 Year 2006 Issue 7 PDF HTML
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35. 地球にやさしい竹炭をもっと広めたい
読書が好きで、『路上』(ジャック·ケルアック著)の主人公ディーンや『ライ麦畑でつかまえて』(J·D·サリンジャー著)の主人公ホールデンのような、ありきたりの生活を嫌い、自分に合ったスタイルを選ぶ生き方に憧れている。竹炭の商売を始めたのも、金儲けのためだけでなく、平凡でありながら平凡ではない人生を送りたいと考えたから。単純かつ素朴で、自然体の暮らしを求めている。竹炭にはさまざまな効用がある。お米と一
Author: 楊振生=写真·文 Year 2006 Issue 8 PDF HTML
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36. 郷里を離れ建設ラッシュを支える
寡黙な人柄で、仕事に対しては非常にまじめ。施工現場に出たらまず、工事の進展とそのできばえをチェックする。どんな工事でも厳しく技術監督や資金管理を行い、手を抜いたことはない。今、担当しているのは北京銀行の一~三階部分の内装工事で、百人以上の作業員を率いている。郷里の江蘇省金壇市は、多くの建築作業員を外地へ送り出す地として有名。「建築の郷」と呼ばれるほどだ。北京、上海、天津など国内の都市をはじめ、ナイ
Author: 楊振生=写真·文 Year 2006 Issue 9 PDF HTML
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37. 雲南大学の教授 木霽弘さん
中国西南部辺境の高い山峡には、一本の曲がりくねった古道がある。かつては、雲南、四川、チベットを結び、インドやネパール、ミャンマーなどへ続いていた。馬を使って主に茶葉を運んだこの古道の歴史は、漢代まで遡ることができる。木霽弘さんの故郷·雲南省麗江は、古道沿いの重要な町であったため、木さんは幼い頃からこれにまつわる話を聞き、強い興味を抱くようになった。友人たちと一緒に、以前は「南方のシルクロード」と呼
Author: 楊振生=写真·文 Year 2006 Issue 10 PDF HTML
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38. 仕事のプレッシャーは甘い生活で解消
販売成績がそのまま収入に結びつく仕事だ。そこでプレッシャーは大きい。また、若いながらも店長として店を仕切っていかなければならないため、苦労も絶えないという。例えば、本店が抜き打ち検査にやってきたとき、あるスタッフの応答が基準のレベルに達していなかったため、尚さんは「店長賞」を逃した。さらに九百元のペナルティーまでとられた。それでも、泣き出してしまったそのスタッフを慰め、一生懸命仕事するよう励ました
Author: 楊振生=写真·文 Year 2006 Issue 11 PDF HTML
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39. 毎日自転車で50キロ街の美化に努める
今、道路や歩道橋、電柱などには、「治療」「観光」「求人」「ニセ証書の発行」など、国の認可を得ていないあやしい内容のビラがあちこちに貼られ、街の景観を乱している。このようなビラをはがし、街をきれいに整えるのが王農田さんの仕事だ。始めたばかりのころは、ビラを貼った人に仕返しをされるのではないかとビクビクしていた。しかし、ある老婦人は王さんの労をねぎらって、お茶をごちそうしてくれた。ほかの住民たちもビラ
Author: 楊振生=写真·文 Year 2006 Issue 12 PDF HTML
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40. アラーム4つで毎朝5時前に起床
『新京報』は二〇〇三年十一月に創刊された北京の人気大衆紙。同紙の配達や勧誘の仕事は、業績を厳しくチェックされるため、蔡小強さんは毎日忙しい。毎朝自転車で新聞を配達したあと、自分の管轄区内をまわり、勧誘にいそしむ。まだ若い蔡さんにとって一番辛いのは、朝早く起きること。四時四十五分から五十五分までの間に必ず起きられるよう、携帯電話のアラームを四回、分刻みにセットしているという。この十分間の一分一秒は非
Author: 楊振生=写真·文 Year 2007 Issue 1 PDF HTML