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Your search : [ author:文·表紙写真 馮進] Total 469 Search Results,Processed in 0.087 second(s)
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311. パンチェン·ラマゆかりのタシルンポ寺
タシルンポ寺は、チベット語で「吉祥の須弥山」を意味する。古代インドの宇宙観では、須弥山は世界の中央にある高山である。この寺は、チベット第二の都市、シガズェの南西にそびえるニセレ山の麓にある。寺の主な建物は、大経堂、漢仏堂、チャンバ仏殿、霊塔殿で、さらに四つのザツェン(教育·事務機関)と僧坊などがあり、建築面積は二十万平方メートル以上に達する。この寺は、歴代のパンチェン·ラマの本拠地であり、チベット
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2001 Issue 10 PDF HTML
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312. 峨眉山―普賢菩薩まつる霊場
峨眉山。二つの山が向きあう形が蛾(が)の触角のようで、美女の眉にも似ているところから「蛾眉」、さらに「峨眉」の名がついた。四川省成都市から南へ百六十キロ、唐の詩人、李白が「蜀道の難は青天に上るより難し」と感嘆した道を、いまや車なら一日で行くことができる。雄、秀、幽、奇で表せる風光峨眉山は中国の四大仏教聖地の一つである。残りの三つは、山西省の五台山、安徽省の九華山、浙江省の普陀山だ。もっとも栄えた清
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2001 Issue 11 PDF HTML
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313. 峨眉山の報国寺と楽山大仏
峨眉山の四大寺の一つに伏虎寺がある。その名の由来は二説ある。一つは寺の後ろにある山の形が、伏している虎に似ているからという説。もう一つは、昔、この山は深く、虎が出没して困ったため、陀羅尼経を刻した六角形の石柱を立てて虎を駆除したことから来たという説である。この寺は後唐(九二三~九三六年)の時代に建てられたが、その後何回も破壊と再建が繰り返された。一六五一年、清の貫之和尚のとき、また再建が始められ、
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2001 Issue 12 PDF HTML
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314. 第一話 北京の点と線―はじめに
五十万年も昔の北京原人から 北京を舞台に脈々と続く人類の歩み そこに現われたあの事件この人物 『三国志』の劉備は北京っ子だった 詩仙李白は北京で詩を詠んだ わかき日の毛沢東は北京で恋をした こうした点と点とを繋いでいくと 浮かびあがってくる一本の線……劉備も北京っ子国内旅行にしろ、国外旅行にしろ、帰りの飛行機が北京の上空に差しかかると、毎度のことながら知らず知らず身を乗り出すようにして、窓の下の景
Author: 文·李順然 写真·馮進 Year 2002 Issue 1 PDF HTML
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315. 第二話 漢方薬と北京原人―先史時代
北京の南西五十キロの周口店 そこの竜骨山という山から 五十万年前の北京原人の化石が出土した二十万年前の新洞人の化石が出土した二万年前の山頂洞人の化石が出土した一万年前の東胡林人の少女は 巻貝のネックレスを付けていた 牛骨のブレスレットを付けていた盧溝石橋と竜骨山観光旅行で五回も、六回も北京を訪れていながら、まだ周口店には行っていないという人がかなりいます。ちょっと残念なことです。北京の南西郊外の周
Author: 文·李順然 写真·馮 進 Year 2002 Issue 2 PDF HTML
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316. 第三話紀元前一〇五七年三月七日―燕
燕という国が北京に生まれた日に ハレー彗星と木星が見えたという 三千年も昔の話だが…… 戦国時代の七雄のなかでも いちばん北の小国燕は 知恵を絞って生き抜いた 「隗より始めよ」とか「漁夫の利」とか
Author: 文·李順然 写真·馮進 Year 2002 Issue 3 PDF HTML
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317. 第四話 多くの故事の舞台―燕
北の弱国燕が、西の強国秦の始皇帝暗殺を謀った 激怒した始皇帝はしゃにむに燕を攻めまくる 東へ東へと潰走する燕軍のなかには 海を越え日本に渡った落人もいたという 燕の都、北京の人がいたかも知れない 三千余年も昔の話で謎も多いが 日本の佐賀県吉野ケ里の墳丘は 燕の落人が伝えたものかも、と言う学者もいる戦国の策士たち紀元前一〇四六年に誕生し、初めて都を北京に置いた燕という小国に黄金時代をもたらした昭王(
Author: 文·李順然 写真·馮進 Year 2002 Issue 4 PDF HTML
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318. 第七話 劉備は北京っ子―三国時代
北京っ子劉備が南の蜀の皇帝になった だがその翌々年の章武三年 劉備は三峡の険に近い白帝城で病に倒れ 知略縦横の忠臣諸葛孔明も十年後に病死する 残された無力無策の後主劉禅は魏に降り 漁陽郡安楽県公に封じられたとか 安楽県は現在の北京市順義区の一角らしい なんと淋しい劉一族の里帰りだろう劉備は北京っ子今回は『三国志』の時代に入ります。曹操(一五五~二二〇年)とその子曹丕(一八七~二二六年)の魏、劉備(
Author: 文·李順然 写真·馮 進 Year 2002 Issue 7 PDF HTML
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319. 動物とともに生きる波乱の人生
張呂萍さんは、捨てネコや捨てイヌなどの収容、救助を行う「人と動物環境保護教育センター」の創始者であり責任者だ。私は、彼女に親しみを覚え、北京市昌平区小湯山鎮にある同センターまで、彼女と二百匹以上のイヌ、六十数匹のネコを訪ねた。☆ ☆
Author: 文·馮進 写真·楊振生 Year 2002 Issue 8 PDF HTML
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320. 第八話 煬帝と大運河―隋
隋の煬帝(ようだい)は暴君だという だが「よいところ」もあったのでは 中国の南と北を繋ぐ大運河を掘ったとか…… この大運河の北の終点は北京だった ある歴史学者はいう 大運河がなかったら元の大都もなく 明、清の北京もなく
Author: 文·李順然 写真·馮進 Year 2002 Issue 8 PDF HTML