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Your search : [ author:本誌記者 謝民] Total 342 Search Results,Processed in 0.090 second(s)
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21. 美しい夢が現実となる
東風がみちあふれ、生きとし生けるものが生命の光にかがやく季節に、世界をゆりうごかす朗報がつたわつた。ソ連が最初に人間をのせた宇宙衛星船「ワストーク号」(ワストークは東方の意)をうちあげ、人類の歴史上最初の宇宙飛行者、ソ連公民ユーリー·アレクセイビツチ·ガガーリン少佐が地上から一七五キロ~三〇二キロもはなれた宇宙を飛行し、無事地上に帰還した、というニユースである。これは人類の自然征服史上における一大
Author: 本誌記者 Year 1961 Issue 6 PDF HTML
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22. 日本卓球選手団団長柴田百門先生に聞く
まず柴田百門先生は、解放された中国を訪問する機会をあたえられてひじょうにうれしく思いますと前置きして「中国にきたことがあるのは選手のうちの四名だけで、ほかのものははじめてですが、中国にきてからすぐにこちらの生活になれてしまいました。北京は思ったよりすずしく、みんなよく休息がとれました」とかたり、そして、中華全国体育総会と中国卓球協会のもてなしに感謝の意を表された。中国にきてからの感想について柴田先
Author: 本誌記者 Year 1962 Issue 9 PDF HTML
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23. 文化のつながりからみた日中友好の重要性
日本大本教総長の出口栄二先生はモスクワで開かれた全般的軍縮と平和のための世界大会に出席ののち、中国仏教協会の趙朴初(チヤオプーチユ)副会長のまねきをうけて、さる七月十九日来京された。そして北京(ペイチン)滞在中、本誌記者と会見してつぎの談話を発表された。問 ひじょうにお忙しいところを時間をさいていただいて、ありがとうございました。きょうはいろいろとお話をうかがわせていただきたいとおもいますが。答
Author: 本誌記者 Year 1962 Issue 10 PDF HTML
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24. 職業病から労仂者を守る
列車は時間どおりに発車した。目的地京西(チンシー)鉱区までは二時間ほどかかる。わたしは『人民中国』の読者から寄せられた手紙をとり出してもういちど目をとおした。勤勉な日本のひとりの知識人の姿がくっきりと目に浮かんでくる。京西鉱区へゆく目的も、日本で労働衛生関係の仕事にたずさわっている水野亘さん―水野さんがこの手紙の主である―のために、やはり労働衛生関係の仕事をしている中国の友をみつけるためだった。車
Author: 本誌記者 Year 1962 Issue 11 PDF HTML
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25. 囲碁交流の語る友情
日中友好協会の招待で日本を訪れていた中国囲碁代表団は、三週間の友好訪問の旅をおえて八月上旬北京(ペイチン)に帰った。中国は囲碁の生まれた土地で、三千年にちかい囲碁の歴史をもっているが、棋士を国外へおくりだしたのは今度がはじめてである。しかもその訪問先は、世界でもずぬけて碁の強い日本である。そういうわけでこんどの訪問は、中日両国の囲碁ファンからひじょうな興味をもってむかえられた。記者は、囲碁代表団の
Author: 本誌記者 Year 1962 Issue 11 PDF HTML
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26. 友情の訪問
十一月の末といえば、北京はもう厳寒のころである。だが、日本生活協同組合連合会訪中代表団の人たちが北京北郊の十三陵(シーサンリン)購買販売協同組合を訪れた日は、よく晴れた小春日和だった。郊外の村々や野らはいたるところ生気にみちあふれ、まるで春がきたようなお天気だった。午前九時ごろ、友人の一行が自動車で目的地につくと、主人がわの十三陵購買販売協同組合の主任尚万蘭(シヤンワンラン)さんがもう門のところに
Author: 本誌記者 Year 1963 Issue 3 PDF HTML
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28. 松川「被告」のみなさんおめでとう
日本の労働者と人民が十四年にわたってたたかい抜いた松川闘争はついに最後の勝利をおさめた。このニュースに、中国人民はかぎりないよろこびを感じ、励ましをうけた。松川闘争の勝利は、なにものもおそれず闘い抜く日本人民の闘志と偉大な力をしめしたものであり、日本、民族の独立と主権、日本人民の民主的権利をふみにじり、日本の民主勢力を迫害するアメリカ帝国主義とそれに追随する日本国内の手先どもの陰謀に大きな打撃をあ
Author: 本誌記者 Year 1963 Issue 11 PDF HTML
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29. 日本工業展の開幕さまえに
日本工業展の出品物を満載した東山丸は八月二十七日の午後五時、天津の玄関である大沽口(ダアクーコオ)についた。船長は、中国税関吏の到着をまち、入港手続きをおこなうために、停船を命じた。「二、三日じゅうに荷上げ作業にかかれたらいいほうだな」デッキにもたれた展覧会の関係者が港をながめながら話していた。そうした判断をくだすには理由があった。展覧会の関係者の多くは、東南アジアやヨーロッパでひらかれた工業展の
Author: 本誌記者 Year 1963 Issue 11 PDF HTML
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30. 北京での日本工業展
展覧会を参観したあと、周総理は「日本工業展覧会の北京(ペイチン)での開催は成功をおさめたと思う」という意味の評価をくだされた。ながい経済的·文化的なつながりを背景とした中日両国人民の友好と貿易関係は、日工展の開催を機にいっそう増進され、こんごの発展が期待されている……展覧会の盛況開幕式参列のために数千人の人があつまった北京展覧館の広場の上には、中日友好の大文字をたらした二つのアドバルーンが秋空たか
Author: 本誌記者 Year 1963 Issue 12 PDF HTML