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Your search : [ author:写真·王徳全 劉水 馮進 文·馮進] Total 470 Search Results,Processed in 0.097 second(s)
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21. 二十四歳の転身―周清
二十四歳、江蘇省常州市出身。はにかんだ笑顔が愛らしい。八七年、蘭州軍区戦闘歌舞団入団、朝鮮国際芸術祭では金賞を獲得した優れたダンさーだった。十年後、新しい目標に向かって中国人民解放軍芸術学院演劇科に再入学、演技の勉強を始めた。ふだんは水泳、乗馬、そしてクラシックからポップスまで、いろんな音楽を楽しむ。可能性をたくさん秘めた、これからが楽しみな女性。
Author: 写真 文·馮進 Year 1999 Issue 6 PDF HTML
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22. 太極拳のメッカ 古城広府鎮
河北省邯鄲(かんたん)市の北東にある永年県広府鎮は、二千年余りの歴史を持つ古い町だ。楊露禅や武禹襄(うじょう)といった太極拳の大家を輩出。住民たちは今も伝統を守って先祖伝来の武術の練習を続けており、太極拳の里として広くその名を知られている。北京と河北省石家荘市を結ぶ京石高速道路を一路南へ、北京を出発して四時間ほどで目的の広府鎮に着く。町に近づき車が細い田舎道に入った時、雨が降り始めて道路がぬかるみ
Author: 写真·文 馮進 Year 1999 Issue 7 PDF HTML
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23. デキる女性の余暇は?
王会軍さんは一九七一年北京生まれ。男っぽい名前には、健康でたくましく、との両親の願いが込められている。お転婆だった少女時代を経て、大学ではコンピューターを専攻、卒業後はソフトウェア開発会社の「北京希望公司」に入社。現在は、市場開発部のマネージャーだ。仕事の余暇には英語の勉強を欠かさない。テニスや絵画など学生時代の趣味は「老後の楽しみにとっておくわ」と忙しいキャリアウーマンだ。
Author: 写真 文·馮進 Year 1999 Issue 7 PDF HTML
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24. 諸葛村江南に先賢の余光をたずねる
うららかな春の一日、私は北京から南に向かう列車に乗って、浙江省蘭渓市内にある諸葛村を目指した。列車は杭州を経て金華に到着。ここでバスに乗り換え、蘭渓市街を抜けて二十キロほど走ったところに諸葛村はある。この村はかつてその名を高隆といった。村の建築物の配列が、蜀の丞相諸葛亮が編み出した「九宮八卦」という陣形図を基にしているため、諸葛八卦村とも呼ばれる。現在の戸数は一千戸余り、村民のうち三千数百人が諸葛
Author: 写真 文·馮進 Year 1999 Issue 8 PDF HTML
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25. 国際航空宇宙博覧会にわいた珠海
北京を発ってから約二時間、晴れ渡る青空の下で快適なフライトを続けていた飛行機が着陸態勢に入った。眼下には青い海が広がり、海面をなでるようにカモメが飛び交っている。海岸線に月をやると、モダンな町並みが少しずつその姿を広げながら近づいてくる。改革開放政策で最初に対外開放された四つの経済特区の一つ、珠海市だ。この沿海の対外開放都市は科学技術の発展、商業貿易の活況、経済的な繁栄など、いくつもの優れた投資環
Author: 写真·文 馮進 Year 1999 Issue 9 PDF HTML
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26. 高原の聖地 ポタラ宮
「チベットへ行こう、ポタラ宮へ行こう……」。機内には、旅情をそそる美しい歌声が流れた。北京発ラサ行きの旅客機四一一二便は、定刻どおりに北京空港を離陸した。チベット平和解放五十周年にあたる今年、「聖地」といわれるチベットのポタラ宮を取材する機会にめぐまれた。強力なターボジェット·エンジンのエアバスA340は、ぐんぐんと高度をめざした。機体を揺らす雲霞をふりきって、すぐにも高度一万メートルの上空へと上
Author: 写真 文·馮進 Year 2001 Issue 9 PDF HTML
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27. ラサの黄色いレストラン―「MAKYE AME」
チベットのラサについたその日、有名なバルコル街(八廓街)を見に行った。「ラサに来て、ジョカン寺(大昭寺)とバルコル街を見なければ、チベットに来たことにはならぬ」と言われる。バルコル街は、ジョカン寺の塀をぐるりと囲んで建っている。幅七、八メートルの石畳の道の両側に、古い店やにわか造りの露店が並び、チベット独特の工芸品が店頭に並べられている。ジョカン寺の門前から街を二キロほど歩くと、またもとの場所に戻
Author: 写真 文·馮進 Year 2001 Issue 9 PDF HTML
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28. 商人たちの繁栄伝える古都
山西省中部に位置する平遥は、悠久の歴史と文化に彩られた古い街である。西周時代の宣王年間(前八二七~前七八二年)に興され、すでに二千七百余年の歴史をほこる。さらにさかのぼれば新石器時代、人類の祖先がここに生息していたという。また、伝説上の五帝の一人·堯が、ここを初めて領地にしたと伝えられることから、古くからその名を馳せた。紀元前二二一年に中国が「郡県制」を敷いて以来、ここは県の都·県城(県庁所在地)
Author: 写真·文=馮進 Year 2002 Issue 3 PDF HTML
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29. 江西省·景徳鎮 変容する千年の焼き物の里
英語で「CHINA」(チャイナ)と言えば陶磁器のことである。それほど中国と焼き物は、切っても切れない縁で結ばれている。 中でも日本や欧米で知られているのが景徳鎮。千年も続いてきたこの窯から、数限りない名品が世に出てきた。
Author: 王浩=文 馮進=写真 Year 2004 Issue 6 PDF HTML
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30. 中国に巻き起こった大相撲旋風
一九七三年四月、日本の大相撲代表団が初めて中国公演を行い、中国の人たちに日本の伝統国技の魅力をタップリと味わってもらった。その三十一年後となる今年、北の湖敏満·日本相撲協会理事長を団長とする大相撲代表団がふたたび中国を訪問。北京と上海でそれぞれ公演し、中国社会に一大センセーションを巻き起こした。「信じられない!」「信じられない!」―。大相撲中国公演で、中国人の感想でもっとも多かったのがこの一言だ。
Author: 王浩=文 馮進=写真 Year 2004 Issue 9 PDF HTML