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Your search : [ author:文·侯若虹写真·郭実 魯忠民 馮進] Total 944 Search Results,Processed in 0.070 second(s)
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11. 林風眠(リンフォンミェン) 人道主義を貫き通した作品
一九〇〇年十二月二十二日、林風眠は広東省梅県の山奥の農家に生まれた。祖父と父親は墓石を彫る石職人だったが、林風眠は六歳で私塾に入り絵を学び始めた。祖父から受けた影響について、彼はこう回想している。私の手と絵筆は、ちょうど祖父の手とノミと同じで、一時も休むことはない。違うのは、祖父は重くて荒い石に一生を費やし、私は軽くて滑らかな紙に一生を費やしたことだ。一九一八年、中学を卒業して上海に出た林風眠は、
Author: 魯忠民 Year 2001 Issue 11 PDF HTML
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12. 朱乃正(ジュナイジョン) 時代に流されない視点
一九五〇年代以降、中国美術界では非常に大きな概念的転換があり、長く主流だった「西洋画の手法」に代わり、「油絵の手法」が歓迎されるようになった。そして結果的に、油絵の技法や材料的特色が突出し、一般的な中国大陸の芸術的特殊性とは対極にあった西洋画の文化的背景や芸術観念が弱まった。このような芸術観念の変化により、中国油絵への西洋的な影響が弱まり、また、油絵的な手法の中国美術界全体への影響力が徐々に強まっ
Author: 魯忠民 Year 2002 Issue 3 PDF HTML
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13. 杜(ドウ)健(ジエン) 激流に立ち向かう力
「文学·芸術は労働者、農民、兵士に奉仕する」というスローガンのもと、一九五〇~六〇年代にかけて、英雄主義表現の作品が主流となった。延安解放区から受け継がれてきた現実主義表現の伝統と、ソ連の文芸思想が結合し、この時代の作品の模範となり、革命の歴史、革命戦争、英雄主義をテーマにした作品が多く発表された。これらの作品は、題材のスケールが壮大で、物語性と劇的プロットを重視し、ロマン主義的な想像と処理の技法
Author: 魯忠民 Year 2002 Issue 4 PDF HTML
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14. 劉春華(リュウチュンホア) さわやかな寒色のタッチ
今日、画家の劉春華を話題にしても、多くの人、特に若者は、誰のことかわからず、首をかしげるだろう。しかし、「文化大革命」のさなかには、知らない人はいないほど有名だった。彼による油絵『毛主席、安源へ』は、当時の中国で広く親しまれ、各種出版物に掲載された回数は九億回にも達した。その上、工場や炭鉱、政府機関、軍隊、学校、農村のあちこちに巨大な模写があらわれ、目立つ場所に「堂々と」掲げられていた。このような
Author: 魯忠民 Year 2002 Issue 5 PDF HTML
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15. 陳逸飛(チェンイーフェイ)南京解放のその日、その時
「文化大革命」の時代、革命に突き進むことをテーマとした作品、スローガンとした作品、概念とした作品、粗製乱造の作品が、画壇にはびこった。しかし一部の画家は、基本技術の高さ、写実的な手法、人間性豊かな描写によって、得がたい傑作を生み出した。一九七七年、中国革命軍事博物館にある大型油絵『総統府攻略』が創作された。これは四九年、人民解放軍が南京の国民党政府総統府を攻め落とした時の様子を表現したもの。蒋(介
Author: 魯忠民 Year 2002 Issue 6 PDF HTML
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16. 陳丹青 飽くなきリアリズムの追求
「文化大革命」(一九六六~七六年)後、中国の芸術家たちは、「本当の現実主義とは何か」について、改めて考えをめぐらせた。そして八○年、画家·陳丹青の『チベット組絵』がセンセーションを引き起こした。当時の彼は、まだ中央美術学院の大学院生で、同組絵は、卒業創作のためにチベットで半年間暮らしたあとで描いたものだった。組絵は、『母と子』『街に行く』『街に行く―二』『康巴の男』『巡礼者』『牧羊人』『洗髪女』の
Author: 魯忠民 Year 2002 Issue 7 PDF HTML
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17. 詹建俊(チャンジエンジュン) 心に響く音楽のように
一九七九年、建国三十周年に際して、中国美術館は、全国規模の美術展覧会を開催し、画家·詹建俊の作品『高原の歌』が、評論家から最高の評価を得た。『高原の歌』は、交響曲のような絵で、チベット族の若い女性が、ヤクの背に乗って、声を張り上げて高らかに歌っている様子を描いている。落日が彼女の影を際立たせ、黄金の輝きを添えている。また、遠くの雪山と近くの野花は、夕焼けによって鮮やかな赤に染まっている。詹建俊は、
Author: 魯忠民 Year 2002 Issue 8 PDF HTML
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18. 呉冠中(ウーグァンヂョン) 形式美を求め続ける
一九七八年以降、「改革·開放」政策が進むにつれ、中国の油絵は多元化と個性化の段階に向かった。八二年、画家·呉冠中が真っ先に提唱した「形式美」の概念と芸術的実践は、美術界が、芸術スタイルの意義について論争するきっかけとなった。呉冠中は一九一九年、江蘇省宜興市で生まれた。四二年から画家·林風眠のもとで学び、その後、重慶大学建築学部の助手になった。四七年春、仏に渡り、パリ国立高等美術学院で学んだ。五〇年
Author: 魯忠民 Year 2002 Issue 9 PDF HTML
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19. 靳尚誼(ヂンシャンイー)新旧世代をつなぐかけ橋
一九八〇年代以降、中国油絵は、徐々に成熟に向かった。多くの優秀な油絵芸術家は、世界の美術潮流の研究に力を入れ、各民族の伝統を吸収し、個性的な創造を重視し、多元的な芸術的成果を獲得し、徐々に国内外の文化界から注目を集めるようになった。八三年以降、画家·靳尚誼は、「色のかたまり」を使った伝統的な手法ではなく、従来の油絵にはなかった「線」を使った表現を重視し始めた。それにより、徐々に、絵の具の層の厚さや
Author: 魯忠民 Year 2002 Issue 10 PDF HTML
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20. 劉迅(リュウシュン) 朦朧の中に時代映す
劉迅氏は一九二三年、福建省福州市に生まれた。四〇年、革命根拠地·延安へ行き、デッサンを学び始め、版画、年画、美術の宣伝活動に従事した。人民美術出版社に勤務していた五〇年代半ばには、旧ソ連のマクシーモフ主宰の校外油絵研修班に参加した。彼は、美術学院で学んだ経験も、有名画家に長く師事した経験もなく、独学により油絵画家となった。抗日戦争時代から、彼は油絵に憧れていたが、当時の環境では、なかなか油絵創作は
Author: 魯忠民 Year 2002 Issue 11 PDF HTML