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Your search : [ author:中國人民世界平和擁護委員會主席 郭沫若] Total 25 Search Results,Processed in 0.167 second(s)
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11. 人類歴史発展のひとつの重要な動向
時のたつのは早いもので、『人民中国』の日本語版が創刊されてもう十年になる。十年のあいだ、読者に愛され、また読者が努力されたことによって、この雑誌は、中国の真相をひろく日本の人びとにつたえ、そのことで中日両国人民の友宜を増進し、アジアと世界の平和をまもる事業の一端をになうことができた。これは中国人民が日本の友人たちに感謝しなければならない点である。この十年間に、世界は大きく変わり、歴史に前例のない新
Author: 郭沫若 Year 1963 Issue 6 PDF HTML
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12. 中日友好の強化と発展の年に
あけましておめでとうございます。すぎさつた一九六三年は、歴史のうえに、とりわけ中日友好史のうえに、かがやかしい足あとをしるし、足おとたかくすぎさりました。一九六三年は「中日友好の年」といえると、わたしは中国にこられた日本のお友だちにいつてきたものですが、これはすこしも誇張ではありませんでした。一九六三年には、日本から中国にとくに大ぜいのお友だちがこられましたし、北京と上海でひらかれた日本の工業展覧
Author: 郭沫若 Year 1964 Issue 1 PDF HTML
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13. 沁園春
沁園春 祝中日恢復邦交赤県扶桑,一衣帯水,一葦可航。昔鑑真盲目,浮桴東海,晁衡負笈,埋骨盛唐。情比肺肝,形同唇歯,文化交流有耿光。堪回想,両千年友誼,不等尋常。豈容戦犯猖狂,八十載風雷激大洋。喜霧霽雲開,渠成水到,秋高気爽,菊茂花香;公報飛伝,邦交恢復,一片歓声起四方。従今後,望言行信果,和睦万邦。一九七二年秋 作於北京 郭沫若沁園春[注释1] 中日国交回復を祝す赤県(せきけん) 扶桑(ふそう)[
Author: 郭沫若 Year 1973 Issue 1 PDF HTML
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14. 浣渓沙
弾指光陰四十年, 蘆溝暁月将如船, 乗風共済待明天。 但願笙歌伝四海, 莫教烽火再綿延, 睦隣反覇理相聯。弾指(つかのま)に光陰(とき)は四十年、 蘆溝の暁月(ぎようげつ)将(まさ)に船の如く、 風に乗り共に済(わた)り明天(あす)を待たん。 但笙(ただしよう)の歌四海(しかい)に伝わるを願い、 烽火(たたかいのひ)をして再び綿延(めんえん)たらしむな、 睦隣(ぼくりん)と反覇(は)は理(ことわり
Author: 郭沫若 Year 1977 Issue 7 PDF HTML
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15. 「人民中国」創刊五周年によせた
こんにちは人類が平和に共存すべき時代であります。ましてや、中日両国の間には長い親善の歷史があります。わたしたちは、日本人民が中国との友好をのぞんでいることを信じています。ただアメリカの為政者だけはこれをのぞまず、日本のいちぶの為政者もひたすらアメリカに追随しようとしています。かれらは二つの中国をつくろうとしていますが、それこそ真晝の夢を追うものであります。実際のところわたしたちは、日本人民との友好
Author: 郭沫若氏の題辞 Year 1958 Issue 6 PDF HTML
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16. 長沙の大火 (一)
解説いまは亡き郭沫若氏の回想録『洪波曲』の一章「長沙の大火」を三回に分けて掲載する。『洪波曲』は、一九四八年、すなわち全国解放の前夜、香港の寓居で執筆された作品である。その内容は、抗日戦争の初期における国民党支配地区での回想で、一九三七年の上海、南京失陥につづく武漢の防衛から放棄までの期間中に、氏の体験したことが記されている。筆者は序文で、「これは個人の思い出で、抗日戦争時期を全面的に反映したもの
Author: 郭沫若 え·董辰生 Year 1978 Issue 10 PDF HTML
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17. 長沙の大火(二)
解説郭沫若同志をしのんで、抗日戦争中の回想録『洪波曲』の一部を掲載する。一九三七年、日本軍の全面的な侵略に対し、「国共合作」が成立した。「国民政府」の首都には連絡のため八路軍弁事処(事務所)がおかれ、延安から周恩来同志らが飛来した。また、軍事委員会政治部が設けられ、部長に陳誠(国民党)、副部長に周恩来同志が就任した。その下に四つの庁がおかれ、宣伝担当の第三庁は郭沫若同志が長となった。日本軍の侵略は
Author: 郭沫若 え·董辰生 Year 1978 Issue 11 PDF HTML
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18. 長沙の大火(三)
解説これは抗日戦争中、国民党支配区の状況を記した郭沫若同志の回想録『洪波曲』の一節である。日本帝国主義者の侵略に対し「国共合作」が成立し、蔣介石のひきいる「国民党政府」の首都には連絡のため八路軍弁事処(事務所)がおかれ、延安から周恩来同志らが飛来した。また軍事委員会政治部が設けられ、部長に陳誠(国民党)、副部長に周恩来同志が就任した。その下に四つの庁がおかれ、宣伝担当の第三庁は郭沫若同志が長となっ
Author: 郭沫若 え·董辰生 Year 1978 Issue 12 PDF HTML
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19. 新しい段階にはいつた中國の科学事業
中國科学院は、一年間の準備ののち、今年の六月一日正式に物理学·数学·化学部、生物学·地学部、技術科学部、哲学·社会科学部の四つの学部を設けた。これは、わが國の科学事業の発展途上における大きな出來事である。この日から中國のすぐれた科学者である二百三十三名の学部委員は、從來よりもいつそう組織的に中國の科学事業を指導することとなつた。この二百余名の学部委員は、学問上の活動に業績をあげた人びとであり、ゆた
Author: 中國科学院院長 郭沫若 Year 1955 Issue 10 PDF HTML
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20. 『百家爭鳴』万歳!
一さんきん中國共產党中央委員会が提出した学術界における『百家爭鳴』(すべての学者にきそつて意見を発表させる)の方針は、学術界の廣はんな討論をよびおこしている。わたしはここで『百家爭鳴』についてのわたし個人の考えをのべてみたい。わたしは『百家爭鳴』には時代性があるとおもう。社会の発展が画時代的な段階にたつするたびに、文化活動の領域におそかれ早かれ『百家爭鳴』の局面があらわれるが、これは社会経済のはげ
Author: 郭沫若(クオモーロー) Year 1956 Issue 9 PDF HTML