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Your search : [ author:文·丘桓興 写真·馮進] Total 208 Search Results,Processed in 0.096 second(s)
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181. 極限状況の人間を描く
北京の東北約二百キロ、天津市の水がめとなっている潘家口ダムに、私たちはやって来た。静かな湖面に有名な喜峰口長城が投影していた。山のふもとに農家が十数軒建っている。炊煙が上がり、叫び声が聞こえてきた。銃剣を持った一群の兵隊が飛び出してきた。日本兵だ!……『芙蓉鎮』などの名演技で知られる姜文(きょうぶん)の監督第二作『鬼子来了』(クイズシイラ)(日本語仮題『捕虜』)が、いま撮影されているのだ。映画は、
Author: 写真·馮進 文·黄秀芳 Year 1999 Issue 4 PDF HTML
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182. 《中国風》
南アメリカ生まれ、のちイギリスで学生生活をおくり、バレリーナとして世界各国で活躍していた張天愛。ファッション界に転身した後の作品には、インターナショナルな経歴が、見事に発揮されている。デザインには、「東」と「西」、また中国伝統の哲学である「陰」と「陽」の調和がある。そして今を生きる女性たちの現代的な強さが、伝統的な優しさのなかに融合している。 デザイナー 張天愛
Author: 写真·馮進 文·黄秀芳 Year 1999 Issue 11 PDF HTML
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183. 「音楽家舞台芸術の夕べ」―紫禁城で交わった東西の芸術
紫禁城を照らしていた夕日も次第に力を失い、その日最後の輝きを微かに残すのみとなった。いつもと違う特別な夜が、まもなく幕を開ける。中国とオーストリアの芸術家約千人が一堂に会する「音楽家舞台芸術の夕べ」。中国中央電視台とオーストリア国営放送の共催で、三年の準備期間を経てようやく実現したビッグイベントだ。明、清両王朝の皇宮だった紫禁城は、時を重ねるほどにその重みと価値を増し、人々の敬愛を集め続けている。
Author: 写真·馮進 文·黄秀芳 Year 2000 Issue 4 PDF HTML
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184. 第一話 北京の点と線―はじめに
五十万年も昔の北京原人から 北京を舞台に脈々と続く人類の歩み そこに現われたあの事件この人物 『三国志』の劉備は北京っ子だった 詩仙李白は北京で詩を詠んだ わかき日の毛沢東は北京で恋をした こうした点と点とを繋いでいくと 浮かびあがってくる一本の線……劉備も北京っ子国内旅行にしろ、国外旅行にしろ、帰りの飛行機が北京の上空に差しかかると、毎度のことながら知らず知らず身を乗り出すようにして、窓の下の景
Author: 文·李順然 写真·馮進 Year 2002 Issue 1 PDF HTML
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185. 第二話 漢方薬と北京原人―先史時代
北京の南西五十キロの周口店 そこの竜骨山という山から 五十万年前の北京原人の化石が出土した二十万年前の新洞人の化石が出土した二万年前の山頂洞人の化石が出土した一万年前の東胡林人の少女は 巻貝のネックレスを付けていた 牛骨のブレスレットを付けていた盧溝石橋と竜骨山観光旅行で五回も、六回も北京を訪れていながら、まだ周口店には行っていないという人がかなりいます。ちょっと残念なことです。北京の南西郊外の周
Author: 文·李順然 写真·馮 進 Year 2002 Issue 2 PDF HTML
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186. 第三話紀元前一〇五七年三月七日―燕
燕という国が北京に生まれた日に ハレー彗星と木星が見えたという 三千年も昔の話だが…… 戦国時代の七雄のなかでも いちばん北の小国燕は 知恵を絞って生き抜いた 「隗より始めよ」とか「漁夫の利」とか
Author: 文·李順然 写真·馮進 Year 2002 Issue 3 PDF HTML
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187. 第四話 多くの故事の舞台―燕
北の弱国燕が、西の強国秦の始皇帝暗殺を謀った 激怒した始皇帝はしゃにむに燕を攻めまくる 東へ東へと潰走する燕軍のなかには 海を越え日本に渡った落人もいたという 燕の都、北京の人がいたかも知れない 三千余年も昔の話で謎も多いが 日本の佐賀県吉野ケ里の墳丘は 燕の落人が伝えたものかも、と言う学者もいる戦国の策士たち紀元前一〇四六年に誕生し、初めて都を北京に置いた燕という小国に黄金時代をもたらした昭王(
Author: 文·李順然 写真·馮進 Year 2002 Issue 4 PDF HTML
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188. 第七話 劉備は北京っ子―三国時代
北京っ子劉備が南の蜀の皇帝になった だがその翌々年の章武三年 劉備は三峡の険に近い白帝城で病に倒れ 知略縦横の忠臣諸葛孔明も十年後に病死する 残された無力無策の後主劉禅は魏に降り 漁陽郡安楽県公に封じられたとか 安楽県は現在の北京市順義区の一角らしい なんと淋しい劉一族の里帰りだろう劉備は北京っ子今回は『三国志』の時代に入ります。曹操(一五五~二二〇年)とその子曹丕(一八七~二二六年)の魏、劉備(
Author: 文·李順然 写真·馮 進 Year 2002 Issue 7 PDF HTML
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189. 第八話 煬帝と大運河―隋
隋の煬帝(ようだい)は暴君だという だが「よいところ」もあったのでは 中国の南と北を繋ぐ大運河を掘ったとか…… この大運河の北の終点は北京だった ある歴史学者はいう 大運河がなかったら元の大都もなく 明、清の北京もなく
Author: 文·李順然 写真·馮進 Year 2002 Issue 8 PDF HTML
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190. 雑誌作りに没頭する浦暁燕さん
浦暁燕(ブーシャオイェン)さんは、テキパキとして仕事が早い。彼女を撮影するときも、背景に置かれたバラバラの雑誌を、すぐさまきれいにしてくれた。中国のあるファッション雑誌の出版発行人の助手を務めている。仕事は忙しいそうだが、見たところ元気いっぱい働いている。「職業のもっとも高いポイントは、趣味と仕事が完璧に結びついた状態。私はとてもラッキーなのです。いまの仕事が、自分の好きなライフスタイルを選んだこ
Author: 表紙写真·馮進 文·王浩 Year 2004 Issue 2 PDF HTML