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Your search : [ author:黄相(ホワンシヤン)] Total 7 Search Results,Processed in 0.069 second(s)
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1. 北京西単食品マーケットの店員さん
北京西単食品マーケットの店員さん厳国英さん(一八歳)は、北京の西単食品マーケットの店員である。このマーケットには、厳さんのような青年が六〇名ばかり働いている。去年の秋、中学校を終えてから仕事についた人たちで、食品マーケット従業員の三分の一前後を占めている。今のところ、マーケットで売っているいろんな食品やくだものをおぼえるために、みな二年の間実習生になっている。仕事のほかに、週一回の業務学習をしてい
Author: 黄相(ホワンシヤン) Year 1965 Issue 2 PDF HTML
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2. バスの車掌―姜茂琴さん
北京(ペイテン)市バス公司の13番線が、去年のくれ、開通一〇周年をむかえた。その祝賀会の席上で、しっかり仕事にはげんできた運転手や車掌さんが表彰された。13番線のバスでは、この一〇年の間に、全従業員が心を合わせて、交通規則をよく守り、乗客への奉仕の面でもたえずほかの線の進んだ経験をとり入れて、安全交通とサービス改善の面で立派な成績を上げてきた。13番線の運転距離は、市内バスではわりに長い方で、市の
Author: 黄相(ホワンシヤン) Year 1965 Issue 3 PDF HTML
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3. 笙をつくる人びと
民族楽器 笙をつくる人孫汝貴さん笙つくりの技術労働者孫汝貴さんは、小さい時から父に笙つくりの技術を学んだ。いまではこの仕事に一六年の経験をつんでいる。だが、笙は近年たえず革新されている。たとえば在来の笙は一三管、一七管とされていたが、いまでは二一管、二三管になり、なかには三二管のものもできた。このためいままでの経験だけではまにあわず、たえず新しい技術を身につけねばならなかった。実際に孫さんの今日の
Author: 黄相(ホワンシヤン) Year 1965 Issue 6 PDF HTML
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4. 南口農場で働く青年労働者たち
南口農場にはたらく繆友蘭さん繆友蘭さん(二二)は南口農場の果樹園の班長さんのひとり。自分とおなじような若者たち一三人とともに、九六三株のりんご畑の手入れを受持っている。このりんご畑は一九五八年にひらかれ、一九六四年から実を結ぶようになった。今年のできは上々で、収穫は昨年をこす見込みである。この土地は石や砂ばかりで、土の厚さは一八センチしかない。果樹園の人たちは岩を掘り、土を埋めたて、りんごを植えつ
Author: 黄相(ホワンシヤン) Year 1965 Issue 10 PDF HTML
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5. 巡回医療隊随行記
昨年の一一月はじめ、河北(ホーペイ)省延慶(イエンチン)県の四海(スーハイ)人民公社に着いたあくる日に、わたしは、積水潭(チイシユイタン)病院医療隊の外科医趙溥泉(チヤオプーチワン)さんと見習いの張静(チヤンチン)さんの巡回医療についていきました。初冬の太陽が山の頂に昇ったころ、わたしたちは、朝食をすませて出発し、山道を二時間あまり歩いて、珍珠泉(チエンチユーチワン)人民公社に着きました。村に入る
Author: 黄相(ホワンシヤン) Year 1966 Issue 1 PDF HTML
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6. 四季青人民公社の温室栽培生産隊
ある年の冬、北京(ペイチン)の人民大会堂の宴会で、人びとが盛り合わせのきゅうりやトマトをおいしそうにたべているのを、宴席にすわってうれしそうにみている一人の農民がいた。かれはとなりの人にこういったものだ。「このきゅうりやトマトは、わしらの温室でとれたものですよ」その農民が、ほかでもなく、四季青(スーチイチン)人民公社の温室栽培生産隊にはたらく李墨林(リーモーリン)さんである。農民とはいっても、李さ
Author: 黄相(ホワンシヤン) Year 1966 Issue 2 PDF HTML
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7. サンパン船頭出身の水先案内陳林魁さん
陳林魁(チエンリンクイ)さんはことし三九歳、浙江(チエチヤン)省永嘉(ユンチヤ)県の人である。小さい頃は家が貧しかったので一年しか学校にゆけず、一三歳になると父といっしょに温州(ウエンチヨウ)港の下流で船をこいで暮らした。兄は温州港で荷役労働者をしていたが、陳さんが一五のとき、国民党の将校が女をからかっているのをとがめたことから、その将校に打ち殺されてしまった。兄の死は、父を憤死させ、母を病死させ
Author: 黄相(ホワンシヤン) Year 1966 Issue 6 PDF HTML