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Your search : [ author:青年海外協力隊員 山崎 哲] Total 67 Search Results,Processed in 0.152 second(s)
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1. 青海の荒地に植林
私を含めた九名が、平成二年(一九九〇年)の九月から東京広尾訓練所で三ヵ月の訓練を受け、十「月三十日、申国へ「緒にやって来ました。北京空港に降り立った時、曇天で風が強く寒かったのですが、解放感と緊張感が同時にやって来て、冷たい乾いた空気が心地良く、またうれしかったのをよくおぼえています。それから約一カ月北京で現地訓練があり、それぞれの任地へ向かいました。この一カ月は、みんな口に出した訳ではありません
Author: 青年海外協力隊員 山崎 哲 Year 1992 Issue 6 PDF HTML
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2. 中国の哲学界に接したひと月
わたしども(山崎謙、寺沢恒信、高田求)は、中国科学院哲学研究所と中国哲学会とのまねきに応じて、第一回日本哲学者代表団として、一九六二年十月十二日、日本海汽船の東光丸で、神戸から、中国訪問の旅にのぼった。航路つつがもなく、十七日のすがすがしい早朝、塘沽(タンクー)に着き、すでに着船前から出むかえに来ていてくれた中国哲学者たちの丁重な歓迎のうちに上陸した。船が波止場についたとき、まだうすぐらい陸のうえ
Author: 山崎謙 Year 1963 Issue 3 PDF HTML
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3. 中国棋院大手合観戦記
楊爽が、三月二十一日から杭州で行われる「段位賽」、日本でいうところの大手合に参加するという。彼女は中国棋院二段の女流専門棋士、二十三歳。瀋陽市日本人会の囲碁好きな人たちの集まりで知り合い、私も二子で指導を受けている。杭州はかねて行きたかった所だ。一行に加えてもらえるだろうかと尋ねたところ、どうぞと言うことになった。早速中国棋院国際部の王誼さんに電話して観戦したいと申し込んだところ、これも大歓迎と言
Author: 山崎献 Year 1997 Issue 10 PDF HTML
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4. 交流を拡大する旅行の力
Author: 山崎道徳さん JTB CHINAグループ董事長 Year 2013 Issue 7 PDF HTML
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5. 偉大な永遠のうちやぶりがたい友誼
今年の二月十四日は、中華人民共和國とソヴエト社会主義共和國同盟との間に友好同盟相互援助条約が調印されてから、ちようど五周年目の記念日にあたる。この日は、中國とソ同盟の人民、その他の兄弟國家の人民がともに祝う偉大な記念日であり、全世界の平和を愛する人びとがみんなして喜び迎える偉大な記念日である。一九五〇年のこの日、モスクワのクレムリン宮で、スターリン同志と毛澤東同志が親しく参加して、この重大な歷史的
Author: 師哲 Year 1955 Issue 2 PDF HTML
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6. 廬山と金剛山
中国の廬山は、江西省九江市南部に位置する有名な避暑地である。廬山を詠んだ詩歌は数え切れないほどある。代表的なものとしては、陶淵明の「菊を東籬(とうり)の下(もと)に採り、悠然として南山を見る」、李白の「廬山の真面目(しんめんもく)を識らざるは、只身(ただみ)の此の山中に在るに縁(よ)る」、また蘇軾の「飛流直下す三千尺、疑うらくは是れ銀河の九天より落つるかと」などがあり、今も多くの人々に愛吟されてい
Author: 張哲 Year 2000 Issue 5 PDF HTML
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7. 中日のメディア交流
中日国交正常化三十周年を記念して、この五月、日本·東京のプレスセンターで、中国国務院新聞弁公室と日本新聞協会が共同主催した「中日メディア·シンポジウム」が開催された。中日双方の各メディアの責任者や報道関係の専門家、学者、記者ら百五十人がこのシンポジウムに出席した。「新世紀の中日関係におけるメディアの地位と役割」をテーマとしたこのシンポジウムでは、中国の趙啓正·国務院新聞弁公室主任が「インターネット
Author: 張哲 Year 2002 Issue 9 PDF HTML
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8. 忘れられていた古代の長城
中国の北部を走る万里の長城―それは、甘粛省西部の嘉峪関を起点とし、険しい山脈に沿い、砂漠の大海原を越えて、まっすぐ中国東部の渤海海岸に伸びている。長城は中国古代の一大土木工事であり、人類共通の財産といってよい。ここ数年来、中国の古文物専門家によって古代長城の踏査が行わなれた結果、いくつかの新しい発見がなされた。長城はどれほどの
Author: 哲文 Year 1982 Issue 8 PDF HTML
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9. 中日野球·ソフトボールの初交流
日本野球·ソフトボール代表団(団長·後藤淳氏、副団長·出川純氏、秘書長·村岡久平氏)が今年の八月、初めて訪中し、中国各地の人びととスポーツ界は、同代表団一行を熱烈に歓迎した。中日両チームの友好試合·技術交流は上海、西安、北京の三市で行われ、これを通じて、中日両国選手間の友好はさらに深まった。日本野球·ソフトボール代表団は、愛知工業大学野球部の選手と、日本女子体育大学ソフトボール部の選手からなり、一
Author: 楊哲山 Year 1975 Issue 12 PDF HTML
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10. 宮城県青年の船
宮城県日中友好協会会長·佐佐木信男先生のご配慮と宮城県知事·山本壮一郎先生のご厚意を得て、第十二回「宮城県青年の船」を取材するため、劉世昭カメラマンと記者の私が仙台港に向かったのは八月の中旬だった。「宮城県青年の船」は毎年一回派遣される。今年で十二回を数え七回目までは中国以外の国へ派遣されていたが、八回目からはいずれも中国に派遣されている。その主旨は「意欲的な勤労青年が船の団体生活と研修を通じて社
Author: 楊哲山 Year 1984 Issue 12 PDF HTML