Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:陳耕] Total 31 Search Results,Processed in 0.098 second(s)
-
1. 農民から支持される党支部書記
中国の西北部にひろがる黄土高原に、約二百戸の村がある。それは甘粛省礼県何家荘生産大隊の所在地だ。いまから十三年前、当時二十二歳だった年継栄さんがこの生産大隊の党支部書記になってから、二百戸の山村は大きな変化をとげた。人びとは「われわれのよい導き手だ」とかれをたたえるのである。社会主義の道を一九六二年、つまり人民公社が誕生してから四年目、集団経済の力で生産は発展し、生活も改善された。だが、劉少奇とそ
Author: 陳耕 Year 1973 Issue 11 PDF HTML
-
2. 華山
斧で断ち割られた山陜西省の中部に変わった山がある。峰々は突き立ち、高低さまざまで、見たところ花が咲いているようだ。「花」と「華」はもともと同じ字であるので、その山は「華山」という名前になった。伝説によると、華山はもともと一つしか峰がなかったが、後に多くの突き立った峰々に分れた。それは大きな斧で断ち割られたものだ、という。山を割った男は、沈香(ツエンシヤン)といって、若者であった。若者の母親は仙女で
Author: 陳耕 Year 1978 Issue 7 PDF HTML
-
3. 呂さんの家庭を訪問
石家荘市(河北省の省都)郊外の東古城生産大隊に取材した時、呂樹瑞(リユイスウルイ)さんの家に泊まった。三十八歳になる呂さんは、がっしりとした体格と底ぬけに明るい性格の持ち主である。家族は、母親の蓉四英(ロンスドイン)さん、妻の楊俊蘭(ヤンヂユンラン)さん、息子さん二人、娘さん二人の七人。取材が終わって、別れを告げる時、記念写真を取らせていただきたいのですがと、わたしはいった。「それはありがたい。七
Author: 陳耕 Year 1978 Issue 12 PDF HTML
-
4. 泉州の人形劇
中国の人形劇は、そのあやつり方法から普通提線(ていせん)木偶戯(ムーオウシー)(糸あやつり人形劇)、杖頭(じようとう)木偶戯(棒遣い人形劇)、布袋(ふたい)木偶戯(手遣い人形劇)の三種類に分けられる。本文に紹介する泉州の人形劇は「提線」で人形のつくりから言っても、衣裳、音楽、あやつり方などから言っても独自の風格をもっている。人形がさやから剣を抜き、またさやにおさめたり、筆を持って字を書いたり、さか
Author: 陳耕 Year 1979 Issue 9 PDF HTML
-
5. 台湾漁民のための天気予報
台湾省と福建省、この中国の二つの省は台湾海峡を隔てて相望んでいる。「天気晴朗なる時はかすかにこれを望む」という古書の記載は、少しも誇張ではない。福建の漁民も「見えますよ、風がよいと、普通の小型帆船で一日です」という。二つの省は、近くて、往来もはげしく、関係も密接で、昔からたがいに“同郷”とよんでいた。台湾人と福建人がたがいに“同郷”といっているのは、台湾がかつて福建省に属していたからだけではなく、
Author: 陳耕 Year 1979 Issue 12 PDF HTML
-
6. 団らんの日を待つ奉化県の人びと
昨年の中秋節(九月二十三日)、筆者は浙江省の省都·杭州市に滞在していた。農暦八月十五日に当たるこの夜は、満月をめでながら、まるい月にあやかって人びとが団らんするという習わしがある。「天上月圓、人間団聚」というわけである。加えて、「毎逢佳節倍思親」(節日のたびに故郷の親者をなつかしむ。王維の詩)である。この夜、全国各地で、郷里をしのぶ台湾出身者の月見交歓会が開かれたが、ここ杭州でも、美しい西湖のほと
Author: 陳耕 Year 1981 Issue 1 PDF HTML
-
7. 漢方医学にもとづく整骨法
二つの臨床例から昨年の十二月十一日、夜八時ごろのことである。十歳くらいの子供が父親につれられて、北京豊盛病院整骨科の診療室に入ってきた。子供の顔は青白く、右腕が垂れ下がり、左肩はやや上に向いている。かなり苦しそうだった。凍った雪の上をすべって遊んでいて、ころんだのだという。当値の若い医師·隋書義先生は子供の右腕を持ち上げ、注意深くさすってから、子供の父親に、「撓骨骨端(クレース氏骨)が折れています
Author: 陳耕 Year 1981 Issue 3 PDF HTML
-
8. 舞踊家陳愛蓮さんの愛と芸
レパートリーが広い演物今年の三月、文化部主催の創作·上演コンクールで、舞踊家の陳愛蓮さん(40歳)が、一等賞を受賞した。彼女の踊りは非凡なものがあり、芸域も広く、なんでもこなせる。彼女は観ているものを、ウットリさせるが、とくに「目線で演技する女優」といわれるほど、表情がこまやかだ。最近、彼女は独演会を開き、中国古典舞踊、中国少数民族舞踊、インド舞踊、スペイン舞踊、ジプシー舞踊、バレエなど一〇種目を
Author: 陳耕 Year 1981 Issue 8 PDF HTML
-
9. 国民党空軍少佐の台湾離脱記
一九八一年八月八日。九時二十八分。銀白色の飛行機が一機雲間から姿をあらわし、翼をゆるやかにはばたかせながら、福建省の福州飛行場に向かってゆっくりと降下してきた。見ると、それは軍用ジェット機で、機体に「中正」という大きな字と国民党空軍のマークが入っている。この飛行機は、あきらかに、台湾海峡の向こう側から飛んできたのだ。そして、飛行場管制官の指示にしたがって停止した。飛行中および着陸時の挙動からみても
Author: 陳耕 Year 1981 Issue 11 PDF HTML
-
10. 若き“個人経営者”への賛歌
「大橋の下」(原題「大橋下面」)は上海映画製作所がつくった新しい劇映画である。同時代の青年の生活をテーマにしたためだろう。北京をはじめ中国の大中都市で公開されると、たちまち社会各界各層わけても若者たちにたいへんな好評を博した。現代の青年をテーマにした新作は少なくないが、なぜ「大橋の下」に限ってそんなにも多くの若者たちに喜ばれたのだろう。他でもなく、この映画が、若い「個人経営者」の生活をその題材にし
Author: 陳耕 Year 1984 Issue 8 PDF HTML