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Your search : [ author:陳耕基] Total 4 Search Results,Processed in 0.062 second(s)
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1. 糸紡ぎにもすぐれる任弼時同志
解放区の大生産運動一九四一、四二年の二年間は抗日戦争期の中国共産党にとって軍事的·経済的·思想的に最も困難な時期だった。この苦境を乗り切るために、陝甘寧辺区(陝西·甘粛·寧夏省の解放区)では整風運動や「自分の手で食糧をつくる」という大生産運動が展開された。いたるところで荒地の開墾、作物栽培、放牧、作業場建設と熱っぽい雰囲気で充満していた。党中央の最高指導者五人のうちのひとり任弼時同志も、兵士と同じ
Author: 陳耕基 Year 1980 Issue 7 PDF HTML
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2. 六十翁の長征行
馬の手綱を引く老人徐特立同志は二万五千(華)里の長征では、赤軍野戦病院の「幹部中隊」に配属されていた。この中隊は、老人、婦人幹部、負傷した連隊クラス以上の将校、幹部、医師、衛生兵、馬係などから編成されていて大部隊だった。中隊の責任者はまだ若い女性で、李堅真(リーチエンジエン)といった。長征の途につくと、彼女は徐同志をなにかと気遣い、馬と馬係をつけ、なにくれと身のまわりの世話をした。だが彼は、「わた
Author: 陳耕基 え·金亭亭 Year 1980 Issue 9 PDF HTML
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3. 羅栄桓将軍と鶏料理
当番兵、護衛兵と“宴会”一九三九年、羅栄桓が指揮する八路軍一一五師団は山東に進出、臨沂と費県の境にある大楼荘に駐留し、万家の屋敷に司令部をおいた。はじめのころ、万家のものは部隊に近寄ろうとしなかった。まして、羅栄桓のような大幹部にはなおさらで、とにかく避けつづけていた。のち、羅栄桓のほうから積極的に彼らに近づき、彼らの生活ぶりをたずね、困っていると援助の手をさしのべた。部隊の規律もひじょうに厳格で
Author: 陳耕基 え·硯平 Year 1980 Issue 12 PDF HTML
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4. 朱徳同志と炊事員と花屋さんと…
炊事班長一九二九年のことだ。井岡山に駐屯していた赤軍が、土豪との交戦、食糧の調達、弾薬、物資の運搬などの軍事行動をするとき、いつも炊事班の中に入って行軍鍋や食糧を担ぐ朱徳総司令の姿があった。ある日、食糧運びの帰途、小休止のラッパで担いでいた荷物をおろした兵士たちは、朱徳同志の周りに集まって雑談をはじめた。炊事班で一番年の若い小劉(シヤオリユウ)が、「総司令はぼくたちと同じ木綿の軍服、巻脚絆、わらじ
Author: 陳耕基 え·司徒兆光 Year 1980 Issue 6 PDF HTML