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え·阿老] Total 20 Search Results,Processed in 0.113 second(s)
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1. 長征の頃の毛主席〔第五回〕
大雪山を越える一九三五年六月、大渡河(タートウホー)をわたつて、夾金山(チヤーチンシヤン)のふもとに着いた。夾金山はとてつもない大きな雪の山である。六月の太陽はまだ空に輝いていたが、この白皚々たる氷にとざされた山を前にしては、太陽の熱もそのはたらきを失つていた。わたしたちは着いた日この山麓に宿営した。主席は山の寒さにそなえて、シヨウガや唐ガラシなど刺激性のものを準備しておくようにとわたしたちに言わ
Author: 陳昌奉 え·阿老 Year 1959 Issue 1 PDF HTML
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2. 長征の頃の毛主席
棚から牡丹餅露営した荒れ山を出てすぐわたしたちは毛兒蓋(マオアルカイ)についた。いよいよ湿地帶通過を前にして、わたしたちはここで休息をとつた。夾金山をこえるときから、わたしはマラリアにかかつていたが、夾金山をこえてからは、病勢も一時おさまつたようにみえた。ところが、雨にうたれたのと、行軍の疲れで、またぶりかえしてきた。こともあろうに、これからいよいよ最難関の湿地帶にはいろうというまぎわになつて、で
Author: 陳昌奉 え·阿老 Year 1959 Issue 2 PDF HTML
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3. 長征の頃の毛主席〔第七回〕
主席にすすめられて赤軍大学に入学陝西省(シヤンシー)北部についてから、環境は安定した。いろいろな組織がつくられ、生活や仕事もしだいに正規化していつた。一九三六年の春のある日、赤軍大学の政治部主任莫文驊(モーウエンホワ)同志が主席のところへきて、赤軍大学の学生募集の件を話された。話の途中で、主席はわたしの方をちらと見て、しばらく考えておられたが、やがて、「われわれの総司令部には、長征の試練をへた古参
Author: 陳昌奉 え·阿老 Year 1959 Issue 3 PDF HTML
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4. 長征の頃の毛主席〔第一回〕
本号から陳昌奉(ちんしようほう)(チエン·チヤンフオン)上校の手記「長征の頃の毛主席」を連載することにしました。筆者陳昌奉上校は現在中国人民解放軍の某軍分区副司令の要職にあります。一九三〇年から一九三六年にかけての数年間、陳昌奉上校は毛主席のそばではたらき、偉大な二万五千里の長征でも終始毛主席について行軍した体驗をもつております。この回想記のなかで、筆者は長征前後の毛主席と英雄的な中国労農赤軍の兵
Author: 陳昌奉(チエンチヤンフオン) え·阿老(アラオ) Year 1958 Issue 9 PDF HTML
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5. 長征の頃の毛主席
郵便局で新聞雜誌を買う縣城や町を解放するたびに、主席はよく使いの者をやるか、自分でわたしたちをつれ、まず敵の縣(町)庁にいつて、敵の公文書類をあつめ、それから郵便局にいつて新聞や雜誌を買いあつめられた。いつもわたしたちは手ぶらで出かけて、かえりには各人がそれぞれ山のような書類や新聞雜誌類をかついでかえつてきた。主席はその晩のうちに赤鉛筆でチエツクし、わたしたちはそれを切り抜いて保存した。ある日のこ
Author: 陳昌奉(チエンチヤンフオン) え·阿老(アラオ) Year 1958 Issue 10 PDF HTML
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6. 長征の頃の毛主席〔第三回〕
長征の第一歩一九三四年の初夏、毛主席は沙洲壩(さしゆうは)(シヤーチヨウバー)で財政経済会議を召集したのち、当時中央ソビエト区の生產模範区だつた瑞金(ずいきん)(ルイチン)縣の武陽(ぶよう)(ウーヤン)鎮に農村調査にでかけられた。そして、ここからさらに廣東(クワントン)·江西(こうせい)(チヤンシー)省委員会の所在地会昌(かいしよう)(ホイチヤン)縣にまわり、会昌にしばらく滯在してから雩都(うと)
Author: 陳昌奉(チエンチヤンフオン) え·阿老(アラオ) Year 1958 Issue 11 PDF HTML
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7. 長征の頃の毛主席〔第四回〕
烏江のほとりで迎えた正月中央赤軍が貴州(きしゆう)(クエイチヨウ)省黃平(こうへい)(ホワンピン)縣から程近い猴場(こうじよう)(ホーチヤン)についたのは、ちようど一九三五年の正月のことだつた。江西(こうせい)(チヤンシー)省のソビエト地区を発つてから二カ月あまりというもの、戰鬪につぐ行軍、行軍につぐ戰鬪の每日をおくつてきただけに、同志たちもすつかり疲れ切つていた。だから、ここで宿営して正月をむか
Author: 陳昌奉(チエンチヤンフオン)え·阿老(アラオ) Year 1958 Issue 12 PDF HTML
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8. 再会のよろこび
「長征の頃の毛主席」の筆者陳昌奉上校は、昨年、機会あつて十二年ぶりに毛主席と再会した。次は、陳昌奉上校がその時の模樣をかいたもの。その後十二年間、わたしは毛主席と会う機会がなかつた。会いたくてたまらなかつたが、戰爭の時期は、各解放区間の交通が不便で、手紙で主席の安否をたずねるのが関の山だつた。全国が解放されてからは、一度北京へいつてお会いしたいといつも思わぬではなかつたが、何分にも忙しい身体で、ど
Author: 陳昌奉 Year 1959 Issue 3 PDF HTML
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9. 毛主席にしたがって長征
最初のころ一九一五年の秋、わたしは江西省寧都県の嶺脳という村にうまれた。家は貧しかった。母はわたしが十一の時に亡くなり、地主の家の作男をしていた父ひとりが一家のささえだった。貧しいうえに、地主やボスどもからいつもひどい目にあわされたため、小さい時からわたしは、人の生血をすするそうした搾取階級をひどくにくんだ。一九二八年のことである。革命の軍隊が寧都を通って瑞金へ、そして大柏地へむかって進軍していっ
Author: 陳昌奉 Year 1971 Issue 7 PDF HTML
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10. 最初の上司
去年の夏、私は省の水利学校を出ると、さつそくこの縣にまわされた。そのとき私は自轉車に荷物をくくりつけ、ペダルをふんで「赴任」してきた。夜明け前に発つたが、縣城(まち)についたのは、正午近くだつた。町へつくなり、いやなことがおきて、ひどく後味のわるい思いをした。ちようど私が自轉車で道を急いでいるところへ、むこうから一人の老人がひよこひよこやつてきたのである。まつたく妙な爺さんで、町の人たちはシヤツ一
Author: 馬峰 え·阿老 Year 1959 Issue 9 PDF HTML