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Your search : [ author:辛化] Total 17 Search Results,Processed in 0.128 second(s)
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1. 米蒋派遣の武装特務殲滅記
昨年の末、アメリカ帝国主義と蔣介石匪賊一味の特務機関はさかんにわめきたてたものである。「広東(クワントン)の沿海地方に送りこんだ多数特務の攪乱工作はみごと成功をおさめた。広東にはすでに遊撃回廊ができた」―彼らはこう言って、祝いの宴席までもうけ、大さわぎしたものであった。ところが、彼らが気ちがいじみた夢に陶酔していたまさにそのとき、送りこまれた一〇隊の特務は、上陸を敢行できなかった一隊をのぞいて、の
Author: 辛化 Year 1963 Issue 3 PDF HTML
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2. 革命的人民の喜びの日
一九六七年の暮れ、全国各地からやってきた革命的大衆一〇万人が湖南(フーナン)省湘潭(シヤンタン)県の韶山(シヤオシヤン)で集会を開いて、偉大な指導者毛主席の立像の落成と韶山鉄道の勝利の開通を熱烈に祝った。韶山は毛主席のふるさとである。赤い太陽がのぼった場所におけるこの二つのできごとは、全中国人民と全世界の革命的人民にとってひじょうによろこばしいことである。高さ六メートルの立像は、六·二六メートルの
Author: 辛化 Year 1968 Issue 4 PDF HTML
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3. 父と娘がそろって大学へ
去年の十月のことである。浙江省紹興の農業機械工場で働く古参労働者の史小毛(スーシヤオマオ)さんが道を歩いていると、だれかがはしってきて、「史さん、農村にすみついたおたくの娘さんが貧農·下層中農の推薦で浙江大学に入ることになったそうですよ」とつげた。史さんの喜びようといったらなかった。先祖代々、大学にあがったものなぞいなかったのに、娘の国紅(クオホン)が大学にあがることになった。こんなことはまったく
Author: 辛化 Year 1971 Issue 12 PDF HTML
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4. 二万五千里長征の大湿原にあらわれた牧畜地帯
中国の西南部に位する四川省には約三万平方キロにおよぶみどりの大湿原がある。それは、一九三五年の夏、毛主席のひきいる中国労農赤軍が長征のきいに通過した、川西北湿原である。かつて赤軍は、この人煙まれな湿原を通過するさい、飢餓と泥沼にさいなまれ、人類史上まれにみるゆゆしい試練をなめたのである。この湿原は、阿壩、若爾蓋、紅原の三県にまたがる。いまは四川省阿壩チベット族自治州の重要な牧畜地帯となった。解放前
Author: 辛化 Year 1974 Issue 4 PDF HTML
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5. 林彪·孔子を批判する「孔家小作村」の人びと
東風人民公社の西林西生産大隊(山東省曲阜県)は孔子を埋葬した「孔林」の西側にあり、解放前は孔子の後裔「孔家」の小作村だった。この村の勤労人民は解放されるまで代々、地主「孔家」の荘園で抑圧、搾取、侮辱をいやというほどうけていた。さいきん、かれらは林彪反党集団の犯罪行為を批判したとき、自分たちの切実な体験と大量の事実にもとづいて孔子の反動的本質を徹底的に暴露した。おなじ孔姓でも階級がちがう解放前の西林
Author: 辛化 Year 1974 Issue 6 PDF HTML
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6. 「師道尊厳」を批判した小学五年生の楊瀅さん
一九七三年五月末のある日、撫順の竜鳳炭鉱子弟小学校の五年五組では、一般常識課の試験がおこなわれた。試験問題のなかに、「汽車で、北京から広州まで行くのに通る、主な都市の名をあげよ」というのがあった。楊瀅さん(十三歳)はこの問題をまえにして考えた―先生は、京広(北京―広州)線でとは言っていないから京滬(北京―上海)線で行ってもいいし、遠回りして重慶経由でもいい。コースがちがえば通る都市もちがう。いった
Author: 辛化 Year 1974 Issue 8 PDF HTML
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7. 大慶油田にすける新採油地区の開発
有名な中国の大慶油田では、プロレタリア文化大革命を経て、年ごとに原油の生産が大幅な増加を示している。ことしの大慶原油の産出量は一九六五年当時の五倍にあたる。ここに、大慶の石油労働者が新しい地区で油田を開発したなかでしめしたいくつかの感動的な事績を紹介しよう。一九七三年一月、大慶油田の党委員会の指導幹部が北京から重要な決定を持ち帰った。その決定の内容が伝わると、油田じゅうがわきたった。新しい採油地区
Author: 辛化 Year 1974 Issue 9 PDF HTML
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8. 海抜4000メートル以上のチベット高原で小麦の収量が多いわけ
海抜四千メートル以上、「世界の屋根」とよばれるチベット高原では、この数年らい、広大な面積にわたり小麦が栽培され、しかもすばらしい収穫高をあげている。これは、封建農奴制社会から一足とびに社会主義社会に転じたチベットに生じた多くの新しい事物の中の一つだ。かつてチベットのほとんどの地方では越年性の作物を栽培していなかった。一九五九年の民主改革後、自由の身となった農奴が高原で小麦の栽培をこころみ、それに成
Author: 辛化 Year 1974 Issue 10 PDF HTML
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9. 海洋主権をまもる第三世界の闘い
ここ数年らい、世界の広はんな沿岸諸国は、ソ米両超大国の海洋覇権主義に反対し、二百カイリ海洋権をまもるため、さまざまな形態の闘争をくりひろげてきた。この闘争はすでに阻むことのできない歴史の潮流となっている。広はんな第三世界諸国とますます多くの第二世界諸国は、つぎつぎとこのような、国家主権と海洋資源をまもる立場をとり、海上覇者の二国をかつてないほど孤立の境地に追いこんだ。一国の領海、およびその国に管轄
Author: 辛化 Year 1974 Issue 11 PDF HTML
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10. ソ連社会帝国主義 硬軟両様の対日政策
対外拡張の野望の実現をはかっているソ連社会帝国主義は、日本をその覇権主義のワクぐみにはめこむため、日本にたいしアメとムチという硬軟両様の手口をもてあそんでいる。ソ修のこうした野望は、日本人民のあいだに激しい反対をまきおこしている。盛りだくさんのお世辞ブレジネフらソ修の頭目どもは、日本をだきこむ必要にせまられると、満面に笑みをうかべ、ありとあらゆるお世辞をならべたてる。ブレジネフ自身も、これまでのソ
Author: 辛化 Year 1974 Issue 11 PDF HTML