Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:解説·陳祖徳
黒 羅建文
白 陳祖徳] Total 80 Search Results,Processed in 0.087 second(s)
-
2. 囲碁とわたし
最近、私はいくつかの省、市を旅行して、各地に成長している少年少女の棋士が多数いるのを知った。それは私に自分がたどっと囲碁修業の道を思いおこさせた。父の手ほどき私は七歳のときから碁をはじめた。それはちょうど一九四九年、新中国誕生の年である。もともと父は碁が好きで、暇なときにはよく姉に碁の打ち方を教えていたから、私は弟といっしょにそれを眺めていた。そうしたことから、私もいつとはなしに碁の打ち方をおぼえ
Author: 陳祖徳 Year 1974 Issue 4 PDF HTML
-
3. 日本囲碁代表団とともにすごした三週間
昨年の十月、日本囲碁代表団は、中国人民に対する日本人民の友情をたずさえて、中国を訪問された。そして、わずか三週間のあいだに、六つの都市を訪ね、手合わせを七回おこなった、このたびの訪問は、中日両国間の囲碁交流に新しい、いきいきとした一ページを書きくわえた。わたしは、日本の友人とともに三週間をすごした。その間にかれらがしめしてくれた深い友情をいつまでも忘れないだろう。腕をみがくよい機会日本囲碁訪中団の
Author: 陳祖徳 Year 1976 Issue 3 PDF HTML
-
4. お別れの記念対局
さる五月二十五日、北京の人民大会堂·江蘇省の間(ま)で、異色の囲碁手合わせがおこなわれた。中国囲碁協会名誉主席の方毅副総理と中国駐在の日本大使佐藤正二氏である。方毅同志は相当の囲碁ファンだが、党の政治局員、そして国務院副総理という激職で、対局の機会が少ない。たまたま、在任中に中日平和友好条約の締結実現という大任を果たされた佐藤大使が離任されることになり、その帰国を三日後にひかえて、この対局が実現し
Author: 陳祖徳 Year 1979 Issue 8 PDF HTML
-
5. 東京中央集会でのあいさつ
私は日中友好協会を代表いたしまして、中国外文出版社訪日代表団の羅俊団長ほか団員の皆さんに、心から歓迎の御挨拶を申し上げます。わたくしたちは、わたくしたち日本人民の多数が愛読しております雑誌『人民中国』の創刊十周年を記念し、お祝いするために、今日、この集まりをもちました。また、この集まりは、わが協会の招きにより来訪せられました此の雑誌の発行者、中国外文出版社のかたがたを、心をこめて歓迎申し上げるため
Author: 黒田寿男 Year 1963 Issue 8 PDF HTML
-
6. ナシ族老人、世界へ発信!
僕はいま、雲南省の西北部に位置する麗江という街に住んでいる。海抜二四〇〇メートル、チベット高原のお膝元とも言える高地にあるこの街は、少数民族の一つ、ナシ(納西)族の居住地である。このナシ族の民話や神話を調べるために、僕がここに住み始めてからほぼ二年半が経過した。当地に来てからナシ語を習い始め、まだまだ完全とは言えないまでも、この民族の民話や神話を調べるのに必要な、ある程度の円滑なコミュニケーション
Author: 黒澤直道 Year 2000 Issue 11 PDF HTML
-
7. エリート学生十人の心の声
大学は未来への一歩を踏み出す場所であり、中国の若者は誰もが入学を夢見ている。なかでも北京大学と清華大学は最大の憧れの対象だ。私たちはこの二校から十人を選び、彼らが自ら綴った文章を通して、学生たちの夢、目標、喜び、これまでの生活に注目してみることにした。(編集部)多彩かつ単調王璐
Author: 写真·黒明 Year 2001 Issue 8 PDF HTML
-
8. 平和のために!
むかしの暗い中國では、人民は苦しい生活のなかからひたすら幸福をあえぎもとめていました。そのころわたしたちは、なんども五カ年計画をくりかえしてついには、貧しかつた國を富み栄えた幸福な國にして、世界ぢゆうの働く人びとのあこがれの的となつた一つの國家、ソ同盟という國があることを人からきいたり、本で読んだりしたことがあります。苦難な境遇のなかにあつた中國人民は、こうした事実を知つて、その当時どんなにかはげ
Author: 白楊 Year 1955 Issue 11 PDF HTML
-
9. ある職業婦人の手記
中国の職業婦人の家庭生活を知りたいという読者のご希望にこたえて、北京(ペイチ)市西城区二龍路(アルロンルー)人民病院に勤めておられる女医の白蕊(パイルイ)さんにこの手記を書いていただきました。 ―編集者一日の勤めが終わるとすぐ家に帰りますが、家は勤め先の近くですので、歩いてもそれほどかかりません。家の門をくぐると、「お母さんが帰った」、「お母さんが帰った」という小英(シャオイン)と小紅(シャオホン
Author: 白蕊 Year 1962 Issue 10 PDF HTML
-
10. 一分間の緊急停車
同じ階級の姉妹を救う去年の六月二十日午後のことである。河北省高碑店(ガオペイデン)駅では駅員たちが、忙しくたち働いていた。駅の衛生係―小王(シヤオワン)はいつもと変りなく、旅客の中に病人がいるかどうか注意をはらっていた。病人がいたら、すぐ世話をしなければ……と。そこへ一台の馬車があわただしく駅前にやってきた。みるとひとりの年若い婦人が車上に横たわっているではないか。真っ青な顔。すでに意識を失ってい
Author: 白景 Year 1975 Issue 5 PDF HTML