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え·沙更士] Total 8 Search Results,Processed in 0.093 second(s)
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1. 延安時代の毛主席〔第一回〕
延安に來られた当初の頃延安(イエンアン)は陝西(シヤンシー)省北部の黃土高原を流れる延河(イエンホー)の南岸にそつた古い町である。町の東北寄りの淸涼山(チンリヤンシヤン)には、万佛洞と年古りた石碑がたちならび、常綠樹が年ぢゆう綠をたたえている。町の東寄りの宝塔山(バオターシヤン)には、宋代に建てられた九層の塔がそびえている。延河をはさんではるかに対峙するこの二つの切り立つた山は、延安の町に美しさを
Author: 蔣秦峰 え·沙更士 Year 1959 Issue 5 PDF HTML
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2. 延安時代の毛主席
延安の旧正月一九四三年は二月のはじめが春節(旧正月)にあたつていた。この黃土高原にはまだ時おり雪がちらついてはいたが、あたりの空氣は日ごとにぬるみ、草の芽や柳の枝がそこここであわい綠の衣をまといはじめていた。人びとはのびのびとした、明るい氣分で風さわやかな、あたたかな陽ざしにみちたこの年の春をむかえた。旧正月の一日(ついたち)には、延安の町や周囲の村々から、晴着を着かざつた人たちが、ドラ太鼓の音も
Author: 蔣秦峰 え·沙更士 Year 1959 Issue 6 PDF HTML
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3. 延安時代の毛主席〔第三回〕
毛主席の重慶行き抗日戰はようやく終りをつげた。苦難にみちた八年をすごしてきた全中国人民は、民族解放の偉大な勝利を雀躍りしてむかえた。そして平和を渇望し、戰爭の傷痕をいやし、真の独立と民主と自由をかちとることを渇望した。しかし、国民党反動派はアメリカ帝国主義と手をむすび、各地で僞軍(汪精衛の南京僞政府軍といわゆる満州国軍)を「国軍」に編成しなおし、数十万の部隊を動員して陝甘寧辺(シヤンカンニン)区を
Author: 蔣秦峰 え·沙更士 Year 1959 Issue 7 PDF HTML
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4. 延安時代の毛主席〔第四回〕
延安撤退三月十八日の午前―当時わたしたちの連隊司令部は王家坪(ワンチヤアピン)の左手の山腹にあつた―はるか南の方角でひつきりなしに砲声がとどろいていた。時たまかすかに機関銃声もきこえた。総司令部の通報によれば、これはわが方の主力部隊が党中央と延安(エンアン)の各機関、市民の最後の撤退を掩護するために、敵の進擊をくいとめて延安侵入の時間をひきのばさせようと、延安の外囲、三十里鋪(サンシーリープー)、
Author: 蔣秦峰 え·沙更士 Year 1959 Issue 8 PDF HTML
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5. 延安時代の毛主席
あらしの夜行軍四月中旬、わたしたち第三支隊は、棗林溝(ツアオリンコウ)、双湖峪(ソワンフーユイ)から安塞(アンサイ)、靖辺(チンピエン)の中程にあたる王家湾(ワンチヤアワン)、高川(カオチワン)一帶に移動し、六月はじめまでここに駐屯した。このころ、わが方の陝西(シヤンシー)省北部の主力部隊がふたたび瓦窰堡(ワアヤオパオ)、蟠龍(パンロン)間の羊馬河(ヤンマーホー)で敵の一三五旅を完全に殲滅し、彼ら
Author: 蔣秦峰 え·沙更士 Year 1959 Issue 9 PDF HTML
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6. 延安時代の毛主席〔第六回〕
毛主席はわしらとともにあり敵の四コ旅半があわてて保安(バオアン)、吳旗(ウーチー)鎮に退却していつてのち、われわれの全支隊はふたたび田次湾(テンツーワン)、姫家凹子(チーチヤアアオツ)一帶から小河(シヤオホー)一帶にひきかえして腰をおちつけた。小河はこの付近では、大きな、美しい部落で、川が部落のまわりをめぐり、山が部落の周囲につらなつている点など、まつたく小延安(シヤオイエンアン)といいたいところ
Author: 蔣秦峰 え·沙更士 Year 1959 Issue 10 PDF HTML
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7. 延安時代の毛主席〔第七回〕
はじめて毛主席に会つた新兵たち陝西(シヤンシー)省北部にもようやく冬が近づいた。わたしたちはみな新しい灰色の綿入れの軍服を着た。日に当るとポカポカとあたたかい。わたしたちは黃河(ホワンホー)西岸の神泉堡(シエンチユワンパオ)、閻家峁(イエンチヤアマオ)一帶に駐屯し、部隊は党中央と毛(マオ)主席の警護にあたりながら、一方で整頓と敎練をおこなつた。周恩來(チヨウエンライ)副主席はとくにわたしたちのため
Author: 蔣秦峰 え·沙更士 Year 1959 Issue 11 PDF HTML
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8. 泉は流れる
一副主任の王全礼(ワンチワンリー)がいせんから劉炳志(リユウピンツー)を重用していることは、鉄鎖崖(テイエスオアイ)人民公社で知らぬものはない。王全礼は響水鋪(シヤンシユイプー)の隣村の人間で、家も解放前にはこの貧しい山村では裕福なものの部類に属していた。四書五経もいちおう読み、口もたつところから、村の中流以上の人たちの間にはかなりの威信をもち、解放区の政府では彼を尊重して村政に参加させた。そして
Author: 浩然 え·沙更士 Year 1960 Issue 1 PDF HTML