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Your search : [ author:田漢] Total 7 Search Results,Processed in 0.140 second(s)
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1. 戰鬪的な京劇俳優周信芳
中國の人々は、京劇の名優梅蘭芳の名を口にするとき、きまつてもう一人の名優周信芳のことを思いうかべる。二人はおなじ年齢で、少年時代にはいつしよに稽古をつけられたこともあり、おなじように五十年このかた中國の演劇改革に大きな貢献をしてきた。今年は二人が舞台生活をはじめてまる五十年になるので、中國の文学芸術界はこの四月にこれを祝つた。周信芳は、一八九五年、浙江省慈谿縣の貧しい読書人の家に生まれた。生まれた
Author: 田漢 Year 1955 Issue 10 PDF HTML
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2. 人民音楽家聶耳を憶う
聶耳(ニエアル)(一九一二―一九三五)は、いま臨時に中華人民共和国の国歌とされている「義勇軍行進曲」の作曲者である。本文の筆者田漢(チンハン)氏は有名な中国の演劇人で、「義勇軍行進曲」の作詞者である。この歌はもともと一九三四年に映画の主題歌としてつくられたものだが、時代の進軍ラツパ、人民の心の声としてたちまち全国にひろまつた。この回想錄で、筆者は、聶耳とともに進歩的な芸術運動にたずさわつた当時の体
Author: 田漢 Year 1959 Issue 10 PDF HTML
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3. 日本新劇団の中国訪問公演を喜ぶ
日本新劇団の中国訪問は、一行の人びとが汽車を下りたつたその日から北京(ペイチン)市民と中国文化·芸術·演劇界の人たちを大きな興奮のなかにつつみこんだ。日本の新劇は、一九〇六年に坪內逍遙が「文芸協会」をつくつた時から数えて五十四年の歴史をもつているが、わたしたちの新劇は欧陽予倩(オウヤンユイチエン)さんらが一九〇七年に東京で「黒奴龥天録(アンクル·トムス·ケビン)」を公演した時から数えることになつて
Author: 田漢 Year 1960 Issue 12 PDF HTML
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4. 「人間は考える」
秋田雨雀先生の言葉日本の反米愛国闘争の戦列には、多くの文芸家の名が見受けられました。日本の、魂の技師たちはぞくぞくと闘いの「十字街頭」にむかつて突き進んでいます。たとえば女流詩人の深尾須磨子女史は、岸信介を非難する感動的な演説をしておられるし、有名な女優山本安英さんは大会で、日本の新劇界の俳優全員がこぞつて「安保条約」に反対する宣言を読み上げられました。またさいきん日本の「テアトロ」創刊二〇〇号記
Author: 田漢 Year 1960 Issue 60 PDF HTML
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6. 秋田雨雀氏をいたむ
演劇の大家秋田雨雀氏が、五月十二日に、病気でなくなられた。ことし七十九歳であつた。欧陽(オウヤンユイチエン)予倩さんとわたしは、氏と旧知の間がらであるが、予倩さんは北京(ペイチン)でもう一年近くも病床にふしており、わたしも当時ちようど海南(ハイナン)島の楡林(ユイリン)港一帯に旅行していたので、六月中旬に帰京してはじめて氏の死去されたことを知つた。さつそく東京の舞台芸術学院に弔電をおくつたが、ここ
Author: 田漢 Year 1962 Issue 9 PDF HTML
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7. 中国の新劇
中國では、台詞と歌と踊りの三つの要素からなる旧劇―これを中國では戯曲と呼んでいます―は古い歷史をもつております。けれども台詞と所作に重点をおき、一つの芝居を幕と場で分ける劇作法や写実的な裝置、照明を用いて、現代の生活や鬪爭、歷史上の物語を表現する近代劇としての新劇の方は、ヨーロツパから輸入されてまだ半世紀たつかたたないくらいであります。一八九四年の中日戰事いご、愛國的な若い知識人たちは腐敗しきつた
Author: 田漢(チンハン) Year 1956 Issue 7 PDF HTML