Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:王海燕] Total 6 Search Results,Processed in 0.082 second(s)
-
1. アウトドア·スポーツの波がきた
土曜日の朝まだき、北京の北三環路·馬甸橋の西南角にある「三夫アウトドア·スポーツクラブ」の入り口は、次第にぎわってくる。大きなリュックサックを背負い、アウトドアのファッションに身を包んだ人たちが、三々五々、ここに集まってくるのだ。しばらくすると彼らは、いっしょに車に乗り、北京郊外の珍珠湖へ向かった。「リンゴ」と呼ばれる若い娘は、ある設計事務所の会計をしている。勤めてから二、三年になる。彼女は今回初
Author: 王海燕 Year 2002 Issue 2 PDF HTML
-
2. 凧の文化に新たな息吹を
広告会社を経営する唐鉄軍さん(三十三歳)は、北京市南部の方荘団地に住む凧(たこ)揚げの「名人」だ。唐さんが広場にやってくると、人々は揚げていた凧をスルスルと収めて、唐さんの実演に見入るのである。人々は、その技をこう絶賛している。「唐さんの凧は生きものだ。彼の思い通りに飛んでいる!」唐さんが揚げる凧は、「風箏鷹」(タカ凧)と言われる。その姿が本物のタカによく似ているので、別名「盤鷹」(空を旋回するタ
Author: 王海燕 Year 2002 Issue 6 PDF HTML
-
3. 北京外大で日本文化芸術祭
今年五月十八日、北京市西部にある北京外国語大学·日本語学部の校舎は、たいへんなにぎわいだった。「第七回日本文化芸術祭」が開かれていたからだ。同大は、国内でも最多の外国語学部をもつ大学である。この芸術祭は日本語学部の学生会により計画され、組織されている。一九九四年の第一回開催から、同大の伝統的なビッグイベントになっているのである。芸術祭では、「裏千家茶会」や「日本料理試食会」「日本アニメーション映画
Author: 王海燕 Year 2002 Issue 9 PDF HTML
-
4. 日本に渡った楊貴妃が甦(よみがえ)る
楊貴妃、西施、貂嬋(ちょうぜん)、王昭君は、中国古代の四大美人だ。楊貴妃は、美しく歌舞に秀で、唐の玄宗皇帝と永遠の愛を誓い合っていた。しかし西暦七五五年、安禄山が反乱を起こした時に首謀者と疑われ、馬嵬坡(ばがいは)で自殺に追い込まれた。その後の玄宗は、孤独と思い出の中で余生を送った。二人の故事は民間に広く伝えられていて、唐の大詩人·白居易は、それを題材にした今でも語り継がれる長詩『長恨歌』を残した
Author: 王海燕 Year 2002 Issue 11 PDF HTML
-
5. 本のサロンで山語る
近年、北京市民の余暇は彩りが増し、日に日に個性化している。いこいの場として人気の「吧(バー)」(バー、喫茶店)はその一つで、映画吧、劇吧、サッカーサポーター吧、バイク吧など、様々なテーマの特徴的な吧がある。国家図書館北門の喧噪から離れた場所にある「行摂匆匆(シンショーツォンツォン)」は、旅行と写真·映像がテーマの「書吧」。字のとおり、書籍や雑誌を楽しめる空間である。(「摂」は日本語の「撮」の意味)
Author: 王海燕=文 楊波=写真提供 Year 2003 Issue 7 PDF HTML
-
6. 日本で「メジャーデビュー」の耿忠さん
中国人の観念においては、「耿忠(ゲンジョン)」(こうちゅう)というのは、伝統的な男性の名前である。しかし、耿忠さんはやさしく、清らかな感じの女性だ。中日国交正常化30周年を記念して制作された中日合作テレビドラマ『ロング·ラブ』(BSフジ)で、ヒロイン役を演じた。中国から日本に嫁いだ3人の女性の波瀾万丈の人生を描いたドラマである。異国での暮らしや当惑する心境を見事に演じたばかりか、純真でやさしい中国
Author: 表紙写真·郭実 文·王海燕 Year 2003 Issue 7 PDF HTML