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1. その道を歩んではいけない
一この何日間は、張拴(ヂヤン?スワン)が土地を賣るといううわさでもちきつていた。張拴の家は、もともと暮しに困るわけはなかつた。一家四人で、土地改革のときには一町歩ほどの土地をわけてもらつているのだし、互助組にはいるかどうかして畑仕事に精出してさえいれば、ゆつくり食つてゆけるはずだつた。ところが彼は、年は若いし力はあるし、それにいい牡牛ももつていたので、それをたのみに、あくまでひとりでやつていこうと
Author: 李準 Year 1954 Issue 4 PDF HTML
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2. その道を歩んではいけない
一この何日間は、張拴(ヂヤン?スワン)が土地を賣るといううわさでもちきつていた。張拴の家は、もともと暮しに困るわけはなかつた。一家四人で、土地改革のときには一町歩ほどの土地をわけてもらつているのだし、互助組にはいるかどうかして畑仕事に精出してさえいれば、ゆつくり食つてゆけるはずだつた。ところが彼は、年は若いし力はあるし、それにいい牡牛ももつていたので、それをたのみに、あくまでひとりでやつていこうと
Author: 李準 Year 1954 Issue 4 PDF HTML
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3. 司馬村の新しい姿
河南省鄭州市の西、黄河の南岸にほど近いところに郞山という山がある。司馬村はこの山のふもとにある。もと成皋県の管轄下にあつたこの村は、いまは滎陽県にはいつている。年とつた人の話では、成皋県は解放前の数十年間一日として安らかな日がなかつたとのことである。軍閥や土匪や地主の武裝団が年中打ちあいをしていたし、わけても日本帝國主義者が黄河を渡つてからというものは、県民の苦しみはいつそうひどいものとなつた。土
Author: 李準 Year 1955 Issue 1 PDF HTML
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4. 孟廣泰じいさん
孟家寨農業生產組合の孟廣泰じいさんとその息子の天祥は二人とも名の知れた馬方だ。廣泰じいさんは解放前ある金持の家で馬方をやつていたが、どんなに悍のつよい馬でもかれの手にかかると三日たたぬうちにすつかりいうことをきいた。息子の天祥はちいさいときから父親について馬方をならい、今は組合の有力な馬方として、遠方に出たりするときにはきまつて彼がひきうける。ただひどく無口な男で、道を歩くにもまるでおとし物でもさ
Author: 李準 さしえ 馬雲峰 Year 1955 Issue 3 PDF HTML
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5. 李四先生
李四(りし)(リー·スー)先生というのは本名ではない。この村ではお医者さんはみんな《先生》と呼ぶので、李四先生とはさしずめ李家の四男坊の先生というほどの意味である。漢方医の李四先生はのつぽの痩男で、尖つた顎にまばらなヒゲがついている。ふだんから人とあまり口をきかない方で、毎日羊を二匹村外れまでつれてゆくのが日課になつていた。私たちがはじめて訪ねていつた時も、老人はちようど羊をつれて出て行つたあとで
Author: 李準(リーチユン) 江熒(チヤンイン)·画 Year 1957 Issue 9 PDF HTML