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Your search : [ author:李平凡] Total 6 Search Results,Processed in 0.120 second(s)
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1. 中国における日本美術
昔話神戸に住んでいたころ、わたしは日本版画史家の黒田源次先生と知り合いになった。あるとき先生はおもしろい話をされた。ヨーロッパの博物館をみて回ったとき、日本の南画が中国画のなかに入れられ、また中国画が日本画として取り扱われているのを発見した、という話で、先生はさいごにこういわれた。「これはおもしろい間違いだ。だがヨーロッパ人のこういう間違いのおかげで、わたしは、日中両国の美術の密接なつながりや、そ
Author: 李平凡 Year 1963 Issue 5 PDF HTML
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2. 庶民の画家―葛飾北斎
北京と上海で開催された〈日本葛飾北斎画展〉は多くの人びとからよろこび迎えられた。それは、われわれに強い印象をあたえた。今回の展覧会は中日国交回復後において迎える最初の春に開催されたものであり、国交回復後における最初の展覧会でもあって、われわれのよろこびは格別であった。この規模の大きな画展は北斎の作品を観賞する機会を中国人民にあたえただけでなく、中日両国人民の友誼増進のために貢献するにちがいない。北
Author: 李平凡 Year 1973 Issue 7 PDF HTML
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3. 黒龍江省「北大倉」新進版画家の新作
カラー·ページ参照「北大倉」版画は、もともと「北大荒」版画といっていた。この版画の誕生と発展の歴史は二十年足らずのことである。歴史は長くないが、これは中国の版画界に咲き出した鮮やかにも美しい一群の花というべきものである。二十年前―ということはつまり大躍進の時期である一九五八年に、中国人民解放軍で除隊になった大勢の軍人が、農業を大いにやろうという党の呼びかけにこたえて、中国各地から黒龍江省の東北辺境
Author: 李平凡 Year 1978 Issue 7 PDF HTML
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4. 表紙のことば
日本―それは私の青年時代をすごした、第二の故郷である。去年、私は、旧友の久保茂氏に招かれて、二九年ぶりに日本を訪れた。四カ月間の訪問期間中、私は、妻の周燕麗といっしょにあわせて二九の都市を訪問した。たくさんの美術館と絵画展を見せていただき、美術関係の機関や大学などを次々に訪ねた。そして、日本の、文化界、美術界のかたがた、それに在日華僑の同胞たちの熱情あふれる招待を受けた。日本の美術関係の友人たちは
Author: 李平凡 Year 1980 Issue 1 PDF HTML
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5. 着色木版画
「四人組」の粉砕で、十年の動乱に終止符が打たれ、わが国の版画界は酷しい冬から花開く春の季節を迎えたかのようだ。老版画家たちは再び彫刻刀を手にして版画創作の青春をとりもどしたし、中年の版画家たちも一連の評判をよぶ作品を創作しはじめている。またこの間、版画界には、才気あふれる青年版画家が数多く現われた。徐氷もそのひとりである。徐氷の原籍は浙江省温岑県、一九五五年に四川の山城重慶市に生まれた。二歳のとき
Author: 李平凡 Year 1983 Issue 1 PDF HTML
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6. 版画界の新しい收穫
第三回全国版画展覧会が二月に北京でひらかれた。展覧会場にそなえつけの意見簿に、ある学生がこんな感想を書いている。「私はここに陳列された作品に強く心をひきつけられました。それは作品の中に生活を愛する祖国の人びとの感動的な姿がえがかれているからです。私は版画家の方々が祖国の工場、鉱山、農村の姿を木刻刀でとらえ、私たちのよく知つている出來事や生活を再現して下さつたことに心から感謝します」第三回全国版画展
Author: 李平凡(リーピンフアン) Year 1958 Issue 6 PDF HTML