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Your search : [ author:本誌記者 周敏儀] Total 333 Search Results,Processed in 0.110 second(s)
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1. 中国人民のしあわせな暮しを見た
日本部落解放同盟代表団の一行は、中日両国人民の友好関係を増進するという目的と中国を知りたいというやむにやまれぬ熱望をいだいて、はじめて中国をおとずれ各地を友好訪問したが、一行はすでに北京(ペイチン)、広州(クワンチヨウ)、呼和浩特(フホホト)、天津(テンチン)などの都市を訪問、名所古跡を参観するとともに、中国人民の実際の生活にもふれ、国務院周恩来(チヨウエンライ)総理、全国人民代表大会常務委員会郭
Author: 本誌記者 周敏儀 Year 1961 Issue 6 PDF HTML
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2. 人民の宮殿―人民大会堂
国をあげて喜びにわきたつ建国十周年記念日を目の前に、総建坪一七万余平方メートルの壯麗な人民大会堂が竣工した。昨年十月末の着工から今年八月末の竣工まで、施工期間はわずかに一〇カ月である。この一〇カ月の間、北京(ペイテン)の市民は天安門(テンアンメン)の前をとおるたびに、次第に姿を変えていつている広場の光景を目にして感嘆の声をあげた。この一〇カ月の間一度も天安門の前を通らなかつた人であるなら、とつぜん
Author: 周敏儀 Year 1959 Issue 12 PDF HTML
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3. 開けゆく大空
昨年末のある朝、わたしたちは激しい北風をついて新しい北京(ペイチン)空港にむかつた。このほど中国の民用航空路にお目見えすることになつた「イル―18」型大型旅客機の試験飛行に記者として参加させていただくためである。コースは武漢(ウーハン)、広州(クワンチヨウ)、上海(シヤンハイ)、そして北京。出発の時刻にはまだ間があつたので、わたしたちはターミナル·ビルでひとやすみした。このビルにはひろびろとしたロ
Author: 周敏儀 Year 1960 Issue 3 PDF HTML
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4. 日本婦人代表団長の藤原道子さんをたずねて
日本婦人代表団のみなさんは国際勤労婦人デー五十周年にさいして、中国を訪問され、中国の婦人たちとともにこの偉大な祝日を祝われた。日本婦人代表団の北京(ペイチン)滯在ちゆうのある日、わたしは団長の藤原道子さんを宿舍の新僑飯店におたずねした。藤原さんはこころよく会つて下さつた。日本の婦人運動家として有名なこの方には、まだ婦人デーのたのしい雰囲気がついてまわつているようで、お話のあいだにも笑い声がたえない
Author: 周敏儀 Year 1960 Issue 6 PDF HTML
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5. 訪中公演日本新劇団を訪ねて
訪中公演日本新劇団は、中国人民にたいする日太国民の深い友情をたずさえて、北京(ペイチン)で豊富多彩な、生活と闘争の息吹きにあふれ、芸術的創造力にみちた公演をおこない、大成功をおさめた。新劇団の人たちは、すぐれた芸術性と鮮明な形象によつて、日本国民の反米愛国正義の闘いと円本国民の生活を生き生きと伝えた。そしてこれらの演し物はいずれも中国の観衆から熱烈に歓迎された。奇劇団の人たちが表現した日本国民の反
Author: 周敏儀 Year 1961 Issue 1 PDF HTML
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6. 中日両国人民の戦闘的友誼を深めるために努力しよう
日中友好協会常任理事宮崎世民氏を団長とする日中友好協会訪中代表団の一行は、中国でメーデー行事に参加するとともに、一カ月間にわたる参観訪問をおこなつた。同代表団は、この訪問期間に、中国対外文化協会と共同声明を発表した。宮崎団長と代表団の皆さんは、北京(ペイチン)を出発する前日に、わずかな北京滞在の時間をとくにさいて、記者に中国訪問の感想をお話しして下さつた。代表団の一行は一〇人。団員の方がたの中には
Author: 周敏儀 Year 1961 Issue 7 PDF HTML
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7. 日本の友人と劉連仁氏との会見
五月二十七日の午前ちゆう、北京飯店のゆつたりとした客間で、大谷瑩潤氏と氏を団長とする中国人殉難者名簿捧持団の全員が、かつて日本軍国主義のゆゆしい迫害をこうむつた劉連仁(リユウリエンレン)氏ならびに日本で難をうけた中国烈士の家族の代表たちと会見した。劉連仁氏は今年四十九歳だが、一見したところ、同年配の人たちよりもいくらか老けて見える。彼はひどく興奮していた。代表団のなかには、彼が東京にいたころの知人
Author: 周敏儀 Year 1961 Issue 8 PDF HTML
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8. 秋の江南の村々をたずねて
八月の中旬に、わたしは杭州(ハンチヨウ)から汽車で西南に向かった。汽車は、緑の山と澄んだ流れの間を二時間ほど走って富春江(フーチユンチヤン)のほとり、富陽(フーヤン)県についた。美しい富春江はあおく波立ち、白帆が点々としている。江心には砂州がたくさんあるが、なかでも、富陽県東洲(トンチヨウ)人民公社の委員会がおかれている東洲が、いちばん大きい。富陽県から小船で東洲の西がわに渡り、堤防の上を東の方角
Author: 周敏儀 Year 1962 Issue 11 PDF HTML
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9. 偉大な時代の眞實を反映するために
中國文学芸術工作者第二回大会は、一九五三年九月二十三日から十月六日まで北京でひらかれた。五六〇名の正式代表と一八九名の列席者が、國家の高級機關や団体の会議場となつている懷仁堂で一堂に会した。代表たちは、全國の各地、各民族のあいだからやつてきた。ほかに朝鮮からきたものもいるが、大部分は中國人民志願軍の活動に参加している人たちだ。代表のなかには、ながい経歷をもつた老作家もおれば文芸活動のうえに頭角をあ
Author: 本誌記者 Year 1953 Issue 7 PDF HTML
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10. 民族形式の體育
中國の人民は、長い歷史のなかで、体育のうえにもいろんな民族的形式を生みだしてきた。これらの体育は、どんな苦しみにも耐えぬく力、機敏で勇敢な気質をそだてあげるとともに、外國の侵略者に反対し國內の反動派と外國の帝國主義者に反対する鬪爭のなかで、人民の愛國心と鬪志をきたえあげてきた。だが、かつての反動的な支配のもとでは、民族体育をひろく発展させる手だてはなかつた。ふるい中國で民族形式の体育運動がひろく発
Author: 本誌記者 Year 1954 Issue 1 PDF HTML