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Your search : [ author:新東京支局長 林崇珍] Total 23 Search Results,Processed in 0.083 second(s)
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1. 親切が身にしみる東京生活
始めまして。私は林崇珍と申します。前任の張哲に替わって『人民中国』の東京支局に着任しました。福建省の山間部にある農村の出身で、北京外国語大学の日本語科を卒業し、『人民中国』に入社してまだ二年の新人です。二十四歳の若さで、独身です。これまでに日本に来たことはありませんので、まだ右も左も分かりません。どうぞよろしくお願いします。東京に着いてから、毎日が悪戦苦闘の連続です。とにかく地理がわかりません。東
Author: 新東京支局長 林崇珍 Year 2004 Issue 12 PDF HTML
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2. 『人民中国』 日本での印刷を開始
『人民中国』はこの八月号から、日本でも印刷を開始しました。これまでは中国で印刷し、船便で運んでいましたが、今後は日本で印刷された『人民中国』が、日本の読者の皆様に届くことになります。七月二十九日正午、東京のホテル·ニューオータニーの「麗の間」は、古い友人や新しい友人が一堂に会し、うきうきした雰囲気に包まれていました。『人民中国』の日本印刷のスタートをともに祝ったのです。今回のレセプションに出席した
Author: 林崇珍=文 于明新 林崇珍 王浩=写真 Year 2005 Issue 9 PDF HTML
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3. 「私に何ができる?」が原点
四月十七日、河南省新郷市から北京豊台野球場まで、中国野球リーグ(CBL)の試合観戦にやってきた野球少年たちの日焼けした顔に、白い歯がこぼれた。視線の先には、差し入れのスナック菓子や飲料水を抱えた藤原利恵さんがいた。藤原さんは昨年八月から、北京にあるJICA中国事務所でボランティア調整員を務める。ボランティア調整員とは、青年海外協力隊員やシニア海外ボランティアの活動をサポートする担当者。彼女は中国大
Author: 文=林崇珍 写真=坪井信人 Year 2004 Issue 7 PDF HTML
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4. 「遠親不如近隣」
世界各国の大使館が集まっている東京の元麻布一帯は、大通りは賑やかなのですが、一歩、路地に入ると、閑静な住宅地が広がっています。中国の駐日大使館もこの一角にあります。昨年十一月五日の夕方、いつもは静かな中国大使館の正門前が、急に賑やかになりました。普段着の主婦や家族連れもいます。白髪の老人も、小中学生も、ガソリンスタンドで働く若者もいます。招待状を手に「新しく来た中国の大使がご馳走してくれるらしいよ
Author: 東京支局長 林崇珍 Year 2005 Issue 1 PDF HTML
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5. オリジナルな中国の旅を
東京·中野区野方地域センターの一室を訪ねると、壁いっぱいに中国の写真やポスターが掛けられていました。集まったメンバーたちは、水ギョウザを食べながら、中国の世界遺産·黄山を紹介するテレビ番組に見入っていました。この「中国の歴史と文化を知る会」(通称·中野区ギョウザの会)は、中日国交正常化三十周年にあたる二〇〇二年の春に発足しました。中国に詳しいジャーナリストの小林惣太郎さん(六十四歳)を会長として、
Author: 東京支局長 林崇珍=文 Year 2005 Issue 5 PDF HTML
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6. シルクロードを合言葉に
シルクロードは中日両国で非常に親しみをもたれています。一九八〇年、中日共同制作によるスペシャル番組『シルクロード』(中国語題·絲綢之路)がそれぞれのバージョンで両国でほぼ同時に放送され、大きな話題を呼びました。日本では昨年の元日から、同じく共同制作による『新シルクロード』が放送されました。『新シルクロード』関連の書籍や映像出版物が各書店の店頭にずらりと並んでいる風景は、まだ記憶に新しく残っています
Author: 東京支局長 林崇珍 Year 2006 Issue 6 PDF HTML
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7. 中日メディアの架け橋に 錢行さん
「ここが、放送人としての僕の原点です」。東京·品川にある江戸時代の古刹·東海寺で、錢行(チェンシン)さんは懐かしそうにかつてを振り返る。今でこそNHKディレクターの肩書きを持つ錢さんだが、北京から私費留学で来日した当初は、生活費も学費もすべてアルバイトで賄う苦学生だった。慶應大学に合格したものの、皿洗いで貯めたアルバイト代はあっという間に授業料に消えてしまった。下宿探しに頭を悩ませた末、寺の門を敲
Author: 文·林崇珍 表紙写真·于前 Year 2007 Issue 9 PDF HTML
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8. 世界各地から「華商」が集う
世界各地の中国系経営者、いわゆる「華商」が一堂する「第九回世界華商大会」が、九月十五~十七日の三日間、関西の神戸·大阪で開かれた。初の日本開催で、中国本土の開催以外では過去最高の約三千六百人が世界各国·地域からやってきた。日本からは千人以上が参加した。一九九一年にシンガポールから始まった世界華商大会は、二年おきに催されてきた。世界各地の「華商」にとって、もっとも盛大なビジネス集会だと言ってもよい。
Author: 東京支局長 林崇珍 Year 2007 Issue 11 PDF HTML
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9. 「ありがとう、日本は大丈夫」
Author: 林崇珍=文 孫立成=写真 Year 2011 Issue 9 PDF HTML
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10. 音楽で触れる人のやさしさ
中国歌劇舞劇院民族楽団と言えば、中国最高峰のオーケストラの一つ。同楽団ただ一人の外国人奏者として、ひと月に一回程度、中国各地で行われる公演に参加しているのが大島さんである。担当楽器は、中国の民族楽器·笙(しょう)(中音笙)。約十四キロある笙を抱えると、小柄な体はさらに小さく見えるが、息を吹き込みながら、三十六音を奏ではじめると、一回り大きくなったような錯覚を起こす。大島さんは、音楽家の母親の影響で
Author: 文·坪井信人林崇珍写真·坪井信人 Year 2004 Issue 1 PDF HTML