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Your search : [ author:文秋] Total 6 Search Results,Processed in 0.198 second(s)
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1. 水害後の“天府の国”
人口約一億を擁し天然資源にめぐまれた四川省は、昔から「天府の国」(てんぶ)といわれてきた。その四川省が、豪雨と洪水にみまわれたのである。四川省は長江(揚子江)の上流にあたり、その名前は長江の四大支流、岷江、沱江、嘉陵江、烏江がそこで合流することからつけられたといわれるくらいで、省内には河川がひじょうに多い。昨一九八一年夏、連続的に大雨が降ったため、それらの河川がはんらんし、長江は建国後最大の出水量
Author: 文秋 Year 1982 Issue 1 PDF HTML
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2. 梅派京劇4度目の訪日
北京京劇院は京劇芸術の大家·故梅蘭芳に代表される「梅(メイ)派京劇」を中心にした京劇芸術団―北京京劇院三団を今年の三月下旬、日本に派遣し、各地で公演を行なうことを決めた。読者の中には、京劇に関心を持つ方もいらっしゃるはず、公演に先だって、今回日本を訪れる「梅派京劇」を主に、簡単な紹介をおこない、読者の参考に供することにしよう。北京京劇院は、「四大名旦」(女形の四大名優)と称された梅蘭芳、程硯秋、尚
Author: 文秋 Year 1984 Issue 3 PDF HTML
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3. 揚州の三大料理
かつて日本の遣唐使が上陸した揚州。鑑真和上の生地であり、若き日の和上が修行した大明寺のある揚州長江に、揚子江という別名を与えるもとになった揚州。.「故人西のかた黄鶴楼を辞し、煙花三月揚州。に下る」という李白の詩心有名だ。揚州は遠く紀元前五世紀に呉王夫差が築いた町。唐代には江南随一の大都会として栄え、家々に鶴が飼われていたという。「腰に十万貫を纏い鶴に騎って揚州に下る」という詩には、大金を持った男が
Author: 写真·文秋華 Year 1992 Issue 3 PDF HTML
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4. 湖北の手づくり豆腐
中国人は豆腐料理が大好きだ。栄養価が高い上に値段も安いというのが、その最大の理由だが、残念なことに、このごろはすっかり機械生産となり、手づくりの、あるいはロバに大豆を挽かせて作った豆腐というものが、ほとんど姿を消してしまった。だが、ここ湖北省は省都武漢から数十キロ西北に行った孝感、雲夢、応城、漢川のあたりでは、豆腐はいまでも手づくりが普通。味にこくがあるのはもちろんのこと、工芸品と言ってよいほど凝
Author: 写真·文秋華 Year 1992 Issue 8 PDF HTML
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5. 青島の海鮮料理
山東半島の南岸、外は黄海にのぞみ、内に膠州湾を抱える青島は、中国屈指の港湾都市。もともとはひなびた漁村だったので、いまでも海鮮料理が極めて豊富で、ナマコ、マダイ、ヒラメ、アワビなどが日常の食膳をにぎわす。海が干き潮になると、土地の人はじゃぶじゃぶと水の中に入って行き、ホラガイ、アゲマキガイ、カキ、バカガイなどを素手で捕ってくる。この青島に、櫃泉小吃街(小吃は一品料理のこと)と呼ばれる通りがある。「
Author: 写真·文秋華 Year 1992 Issue 11 PDF HTML
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6. 蓬萊閣
この世の仙境と言われる蓬萊は、渤海と黄海の交り合う海辺、山東省蓬萊県の丹崖山の頂にある。海上の三つの仙境、蓬萊、方丈、瀛州は昔から、神仙がいて山上には不老長寿の薬があると言い伝えられた。史書には、秦の始皇帝と漢の武帝が神仙と薬を探してみずから訪れたと記されている。有名な「徐福、神仙をたずねる」「八仙人、海を渡る」の物語は、いずれもここが舞台なのだ。蓬萊閣は海沿いの丹崖山上に高くそびえ、前には松や柏
Author: 写真·姜景余 文·秋泉 Year 1994 Issue 6 PDF HTML