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写真 閻敏 蕭践] Total 4965 Search Results,Processed in 0.119 second(s)
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1. 秘境への道
チベットは永い間氷と雪に閉ざされた極地だと思われて来た。六四一年、唐の文成公主がチベット入りしてから、漸くその門戸が開かれたが、だからといって、誰でも行けるという所ではない。海抜が四千メートルを超え、空気が希薄なうえ、風雪が厳しい。しかしこの地球の極地が、近年世界の注目を浴びている。中国の科学探検隊が一九九四年に、深さ五三八二メートルという世界最大のヤルンズアンポ江大峡谷の存在を確認したのだ。生物
Author: 写真·蕭践 閻敏 文·初小玲 Year 1995 Issue 9 PDF HTML
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2. 切り立つ崖、豪雨をついてタールオ·イゴン湖へ
徐教授をリーダーとする今回の調査団の調査の重点は、ヤルンズァンポ江が大きく湾曲する地域とそこに流入する水系の峡谷にある。この地域は、崖は切り立ち坂は険しく、峡谷は深く、酷熱の気候で、蚊が多いが、生態系が特異で種類が豊富であり、調査には最良の地域である。当然、車は入れず、徒歩に頼るしかない。密林の奥深く、タールオという小さな山村があり、付近に世界的に珍しい最も大きなタンメクヌギがあるという。私たちは
Author: 文 初小玲 写真 閻敏 蕭践 Year 1995 Issue 10 PDF HTML
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3. 苦難の果ての絶景
私が非常に残念に思っていることがある。それは調査団と撮影班が雨季に入る前に到着し、黄宗英先生と私が着くまでにヤルンズァンポ江の大湾曲部の頂きでの春季調査を終え、ザチュ村へ発ったあとだったことだ。彼らは息も絶え絶えに原始林をまるまる三日間歩いた。泥と石の坂をはい登り、揺れる吊橋を渡り、切り立った山腹をうがつ曲がりくねった桟道をよじ登った。撮影班の畢爾の手が裂け、随行の医師が川のほとりで八針縫う手当て
Author: 写真·閻敏 蕭践 文·初小玲 Year 1995 Issue 11 PDF HTML
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4. 魅了され、調査続ける徐教授ガンシャン、ダカ湖
木々が高く空えるボウォ県のガンシャンは、雪の山に囲まれ、山腹は緑色の玉のかんざし、水は青い薄絹の帯、木々は緑の天蓋に似て、うっとりとさせる原始的な風景だった。タンメからガンシャンまでは車で八、九時間を要する距離だった。私たちは四台の三菱ジープと一台の北京ジープで威勢よくタンメを出発した。小雨が降りしきり、道の両側は木々が生い茂り、野生の桃の花が真っ盛りだった。道路では時折りヤクと犏牛(赤牛とヤクの
Author: 文 初小玲 写真 閻敏 蕭践 Year 1995 Issue 12 PDF HTML
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5. 市民生活を体験した読者たち
本誌の編集については、星野稔さんが「誌面に繁体字と簡体字の説明を増やしてほしい」という要望を出した。また、小林義雄さんが、日本人としての視点で中国の汚水処理について意見を出した。最後に、于社長が「二〇〇五年は、諸葛孔明の子孫のふるさと、浙江省の諸葛八卦村などを旅する計画です。山東省の泰山でお会いしましょう」と語った。
Author: 于文=文·写真 Year 2005 Issue 1 PDF HTML
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6. 「赤壁の古戦場」昔日の面影、今日の発展
華中地域に位置する湖北省咸寧市赤壁鎮は、約千八百年前、『三国志』の「赤壁の戦い」が行われた地である。時代は流れ、現在は「城在山中、人在画中(街は山に囲まれ、人は絵の中にいる)」と例えられる美しい都市だ。「赤壁の戦い」の遺跡二〇八年十一月、中原を統一した曹操は八十万の大軍を率いて南下し、東呉に迫った。孫権と劉備は協力してこれに対抗した。策士の龐統は、鉄の鎖で船と船をつなぐ作戦、いわゆる「連環の計」で
Author: 于文=文·写真 Year 2005 Issue 3 PDF HTML
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7. 中日間の親近感を回復するには
二年前、私は交換留学生として、日本で学んでいた。帰国後、北京で就職したが、このところ、中日間には不愉快な出来事が多く、心を痛めていた。 この夏、中日両国人民の友好写真集出版を記念して東京·六本木で開かれた大型写真展の手伝いのため、東京に派遣されることになった。
Author: 于文=文·写真 Year 2005 Issue 11 PDF HTML
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8. 絶滅の謎解く手がかりに
湖北省の鄖(うん)県は山地が多い。その山の斜面で、丸い石の卵がよく発見される。石の卵は、岩石の中にあったり、地表に露出していたりしている。一九九〇年代には、外部の人がわざわざ石の卵を買うためにやって来たので、当地の農民たちは、この丸い石が宝物かもしれないとようやく気付いた。規模が大きく、保存もよい外部から来た人が大量の石の卵を買うことに、鄖県の政府は注目した。一九九五年、中国科学院の古生物学者がこ
Author: 于文=文·写真 Year 2005 Issue 11 PDF HTML
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9. 北京秋天の下、二万人が走った
十月十六日午前八時、二〇〇五ANA·北京国際マラソンが、天安門をスタートし、国家オリンピックスポーツセンターの陸上競技場のゴールを目指して行われた。今大会は、中国国内では最大規模の都市マラソンとして、四二·一九五キロのフルマラソン、一二·〇九七五キロのハーフマラソン、一〇キロマラソン、四·二キロのミニマラソンの各コースが設けられ、十あまりの国と地域から二万三千人のアマチュア選手が参加して開催された
Author: 于文=文·写真 Year 2005 Issue 12 PDF HTML
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10. 二十年迎えた日本学研究センター
北京日本学研究センターは今年、設立から二十年を迎えた。十月十四日、二十周年祝賀会が北京外国語大学で行われ、開幕式の一時間前から、出席者が続々と集まってきた。中国の日本学専門家、日本の専門家をはじめ、欧米人や同センターの卒業生たちも参加し、会場は熱気にあふれた。リアルタイムの日本を研究祝賀会の幕は、「『日本的』の現在」をテーマとした国際シンポジウムによって開かれた。中国対外文化交流協会常務副会長の劉
Author: 于文=文·写真 Year 2005 Issue 12 PDF HTML