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Your search : [ author:文·黄秀芳 写真·楊振生] Total 36 Search Results,Processed in 0.100 second(s)
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1. 僕たちの友情は永遠に
日本語の養成学校として知られる中·高一貫校の「北京市月壇中学」が、今年三月二十四日から二十八日まで、日本の財団法人ラボ国際交流センター(本部·東京)の第十七次訪中団(一行四十六人)を受け入れた。同センターは一九六六年、民間の教育機関として設立、七三年には外務省認可の財団法人となった教育機関の一つで、子どもたちはそこで世界名著や歌を通して、異国の文化や言葉を学んでいる。またホームステイの形式で、毎年
Author: 文·黄秀芳 写真·楊振生 Year 2002 Issue 8 PDF HTML
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2. 銅鑼の音が村を守る
雲南省楚雄イ(彝)族自治州双柏県雨竜村には、イ族の古い一支族であるロウ(羅婺)人が住む。毎年、旧暦六月二十三日から二十八日、ロウ人は「銅鑼(どら)祭り」を盛大に祝う。五穀豊穣、無病息災を祈るこの祭りは、もとはシシと呼ばれる美しい娘を記念するものだったという。村の言い伝えでは、ロウ人の山村に暮らしていたシシは、幼いころからそれは美しい娘だった。成長するにつれてシシはさらに美しさを増し、姿をみた農民は
Author: 文 写真·楊振生 Year 2001 Issue 2 PDF HTML
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3. 世界の耳目集めた上海
―二〇〇一年十月十五日から二十一日まで、アジア太平洋経済協力会議(APEC)が上海で開催された。これは今までに中国で開かれた国際会議の中で、規模がもっとも大きく、もっともハイクラスで、影響のもっとも大きいものであった。APECに参加している二十一カ国·地域の首脳と、一万人以上の来賓、三千人以上の記者が上海に集まった。APECは閉幕したが、会議が開かれた七日の間に、上海が示したさまざまな姿は、人々に
Author: 文·黄秀芳 Year 2002 Issue 1 PDF HTML
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4. 上海人の心に響いた日本画
三月十一日~十八日、上海美術館にて中日国交正常化三十周年記念「日本画家澁澤卿(けい)画展」が開催された。この画展は、聚友(じゅゆう)国際交流企画と上海美術館の主催、中日の美術関係団体や友好団体の後援で実現した。後援団体の一つである『人民中国』からも、社長の沈文玉が代表として開幕式に出席した。一九四九年に生まれ、七四年に東京芸術大学を卒業した澁澤さんは、改革の風が吹いている現代日本美術界で活躍してい
Author: 文·沈文玉 写真·楊振生 Year 2002 Issue 6 PDF HTML
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5. みんなで「スピーク イングリッシュ」
中国が米国と国交を結び、中国の改革·開放政策がますます進展するにつれて、二十世紀の七〇年代から、人々の生活の中に占める英語の地位がますます重要になり始めた。入試、留学、就職、昇進などの必要から、八〇年代と九〇年代に、程度の違いこそあれ中国では、英語ブームが巻き起こったことがある。 二十一世紀に入って、中国はオリンピックの招致に成功し、世界貿易機関(WTO)に加盟し、サッカーのワールドアジア太平洋経
Author: 文=張春侠 写真=楊振生 Year 2002 Issue 8 PDF HTML
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6. 動物とともに生きる波乱の人生
張呂萍さんは、捨てネコや捨てイヌなどの収容、救助を行う「人と動物環境保護教育センター」の創始者であり責任者だ。私は、彼女に親しみを覚え、北京市昌平区小湯山鎮にある同センターまで、彼女と二百匹以上のイヌ、六十数匹のネコを訪ねた。☆ ☆
Author: 文·馮進 写真·楊振生 Year 2002 Issue 8 PDF HTML
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7. 「社区」とはなにか
いま、中国の大都市で、社会の基盤をなす地域社会が変わりつつある。「社区」という、外国人には耳慣れぬ概念の組織が生まれ、発展しているのだ。 「社区」は、欧米の「コミュニティー」とも、日本の「町内会」や「団地」とも少し違う。中国の発展の歴史や実情の中から生まれてきた独特の組織であり、また、独特の役割を果している。いまや中国の大都市の市民生活は、「社区」なくしては語ることができない。 注目すべきことは、
Author: 文·侯若虹 写真·楊振生 Year 2002 Issue 10 PDF HTML
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8. 第十一話 五朝古都の幕あけ―遼
遼の誕生は五朝古都の幕あけ 遼は北京を「南京」と名づけた 遊牧民の契丹族が興した北(きた)国(ぐに)の遼にとっては たしかに南の都だったのだろう この南京を政治家、王安石が訪れている この南京を文人、蘇轍が訪れている この南京をイスラム教の伝道者が訪れている この南京を日本の使節が訪れている契丹·キタイ·キャセイ北京は「五朝古都」ともいわれています。ここでいう五朝とは、北京に都を置いた遼、金、元、
Author: 文·李順然 写真·楊振生 Year 2002 Issue 11 PDF HTML
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9. 第十二話 燕京八景が定まった―金
長江のほとり太湖生まれの奇石 太湖石 何万年もの波に打たれてできた穴やくぼみ 宋王朝は開封に運んで離宮の庭石にした 開封を攻め落した金王朝は太湖石に一目惚れ 北京に運んでやはり離宮の庭石にした 元 明 清の王朝もそうして楽しんだ 太湖石はいまも北京の北海公園に置かれている 中国の歴史のもの言わぬ一証人として海上の盟契丹族の遼に替って北京の主(ぬし)になったのは、中国東北部、現在の黒竜江省ハルビン一
Author: 文·李順然 写真·楊振生 Year 2002 Issue 12 PDF HTML
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10. 個性のきらめくストリートダンスを王馨左さん
二十三歳の王馨左さんは、北京迅捷舞踏学校のモダンダンスの教師だ。教室では、十分に成熟したベテランの表現力を見せてくれる彼女だが、教室の外では少女のような素顔をさらけ出す。何を尋ねてもケラケラと笑ってばかりで、なかなか話が進まないのには、困ってしまった。湖南省で生まれた王馨左さんは、幼い頃から母が作ってくれた色とりどりのスカートをはいて、大人たちの前でオリジナルのダンスを披露していた。小学校を卒業し
Author: 文·高原 写真·楊振生 Year 2007 Issue 5 PDF HTML