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Your search : [ author:戴振宇 え·翁乃強] Total 11 Search Results,Processed in 0.241 second(s)
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1. 春の雪
ドアのところにもたれるようにして、紹華は舞い落ちる雪[注释1]を眺めていた。満ちたりた、心地よさに彼女は浸っている。明日は市の「優秀農民企業家集会」に出席するし、それにもましてうれしいのは、夫の王強がきょう、ようやく彼女のもとに帰ってきてくれる。ふと襟を何気なくひっぱると、彼女は急に何か思い出したように、部屋に戻った。そして、タンスから上等の洋服を取り出した。女性ではあっても、彼女は商魂たくましい
Author: 戴振宇 え·翁乃強 Year 1988 Issue 7 PDF HTML
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2. 延の種子
一県の党委員会の主催で春季農耕生産会議が、まる三日間もひらかれた。目のまわるような忙しさで、新聞さえまんぞくによめない。夕食のあと、わたしはなにげなく二日まえの新聞を手にとった。「貧農·下層中農のすばらしいあとつぎ」という見出しにひきつけられ、わたしはたんねんにその記事を目で追った。内容はつぎのようなものであった。厳冬の早朝は、もやがたちこめていた。紅旗(ホンチー)人民公社の春風峪(ウンフオンユイ
Author: 華彤 え·翁乃強 Year 1975 Issue 8 PDF HTML
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3. シーサンパンナ
国境を越えれば、そこは、ビルマかラオス。シーサンパンナは、熱帯に位置する神秘にして麗しい、旅行者のあなたにとっては、“地上の楽園”なのです。訪れた日本人のお客さんは、「ああ、わたしが画家だったら」「ああ、わたしが詩人だったら」と、口をそろえてお嘆きになる!? 中国人にしても気持ちは同じです。美術学校の学生が、一度は行ってみたいところ、それがシーサンパンナなのです。「シーサンパンナ」は、ダイ語。ダイ
Author: 構成 車慕奇 え·翁乃強 Year 1989 Issue 8 PDF HTML
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4. 大理
「世界の屋根」·チベット高原から東南に伸びる横断山脈。万年雪をいただく尾根から、金沙(きんさ)江、瀾滄(らんそう)江、怒(ど)江の谷を刻む険しい急勾配の山腹は、世界でもまれな「垂直分布」で知られます。珍しい動·植物が、標高のちがいによって、層を成すように分布しているのです。横断山脈の一支脈が蒼山(そうざん)。点蒼山とも呼ばれます。一支脈と言っても、海抜は四千メートル。十九の峰がつらなり、延々四十二
Author: 構成 車慕奇 え 翁乃強 Year 1989 Issue 9 PDF HTML
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5. 朝焼けをむかえて
于小眉(ユイシヤオメイ)は省立の農業技術学校を卒業すると、数日間家にいて、すぐに県城(まち)の近くのトラクターステーションに配属されることになった。明け方に着く汽車をおりて目的地につくと、職場の人たちはみな除草にでかけており、所長さんが一人でこれからの仕事についていろいろと話してくれた。所内の状況についての紹介がすみ、さて、かの女が具体的にどんな仕事につくかということになると、所長さんは、どうした
Author: 崔璇(ツイシワン) え·翁乃強(ウオンナイチヤン) Year 1964 Issue 6 PDF HTML
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6. 清明節の雨
一清明節のあとに降りだした雨が、そぼそぼと降りつづいていつ止むという気配もない。おんどりが三度ときを告げたとき、小陳岩(シヤオチエンイエン)生産隊長の陳明遠(チエンミンユワン)じいさんは、もう床のうえに起きあがっていた。夜どおし降りつづいた雨のため、じいさんはまんじりともしなかった。じいさんが眠れなかったわけは、草ぶき屋根の雨漏りのせいではなかった。生産隊の四〇ムーの綿畑が心配でならなかったのだ。
Author: 李准(リーチユン) え·翁乃強(ウオンナイチヤン) Year 1964 Issue 10 PDF HTML
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7. 先輩
今日は日曜日、工場は休みで職場主任をしている老熟練工の陳(チエン)さんはどこへも出かけず、家の中でねそべっていた。窓の外にはしだれ柳の濃い緑の枝が、そよぎもせずにじっとたれさがっている。ちょうど暑いさかりの昼さがりなので、部屋の中はひっそりと静まり、疲れを知らぬ蟬たちのさかんな鳴き声さえも、何となく眠気をさそうようだ。しかし陳さんはなにやら考え事があって、すこしも眠気を感じなかった。そのとき階段に
Author: 胡万春(フーワンチユン) え·翁乃強(ウオンナイチヤ) Year 1964 Issue 9 PDF HTML
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8. 飛行大隊長
一僚機のパイロットが急性盲腸炎で入院したので、大隊長の李傑(リーチエ)は気をもんでいた。八月はじめのある日、李傑の大隊にも新任のパイロットが六人配属されることになった。李傑大隊長の僚機にのるのは羅永剛(ローユンカン)という新人のパイロットだった。夜、李傑は羅永剛を宿舎につれて帰った。かれは小羅の荷物をとなりの空いたベッドにおいて言った。「さあ、かけたまえ、ここがおれたちのねぐらだ。きみはこれからこ
Author: え·翁乃強(ウオンナイチヤン) 官偉勛(クワンウエイシユン) Year 1965 Issue 9 PDF HTML
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9. 海南島の移動兵器工場
抗日戦争の当時、海南島(ハイナンタオ)のみどりしたたる美合(メイホー)の茘枝(れいし)林のなかでは、日夜ハンマーやふいごの音、労働の歌声がひびいていた。これがわたしたち瓊崖(チユンヤー)縦隊(独立師団)の兵器工場だった。この兵器工場には、さいしょたった四人の人しかおらず、工具もふいごが一つ、手動式のボール盤が一つ、やっとこが二挺、ハンマーがいくつかあるだけだった。その後、党中央が延安(イエンアン)
Author: 陳大新(チエンターシン) え·翁乃強(ウオンナイチヤン) Year 1966 Issue 4 PDF HTML
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10. 地下病院
無一物からはじめる一九四〇年の一〇月、河北(ホーペイ)省に新しくできた献(シエン)(県)交(チヤオ)(河(ホー))県で県大隊の成立大会が催された。その大会でわたしは大隊付の医師に任命された。ある日、宋(ソン)大隊長によばれて大隊本部へ行った。大隊長はわたしと向かいあって坐ると、すぐに用件を切り出した。「敵の『掃討』は今後いっそう激しくなるはずだ。われわれの任務もきびしくなって、移動もひんぱんになる
Author: 楊国藩(ヤンクオフアン) え·翁乃強(ウオンナイチヤン) Year 1966 Issue 6 PDF HTML