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Your search : [ author:愛新覚羅·溥儀] Total 15 Search Results,Processed in 0.106 second(s)
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1. 私の経験をつうじて日本軍国主義の犯罪行為をあばく
「九·一八」事変三十周年を迎えて、私は往事をふりかえり、万感こもごもいたる思いです。寛大な処置と教育、改造によつて、新生の道へと私をみちびいて下さつた中国共産党、人民政府ならびに祖国の人民に感謝いたします。こんにち、かつて私が犯した祖国にそむく行為を思うとき、たとえようもない心の痛みとはずかしさを感じます。「九·一八」事変がおこると間もなく、私は日本帝国主義者に侵略占領された祖国の東北地方へおもむ
Author: 愛新覚羅·溥儀 Year 1961 Issue 11 PDF HTML
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2. 元皇帝の回想記【第二回】
三たび皇帝になった愛新覚羅溥儀氏は、げんざい、一公民として中国の社会主義建設にはげんでいる。氏はこのほど、波瀾にとんだ人生の前半の記録―『我的前半生』(わたしの前半生)を脱稿したが、本誌では出版にさきがけて、とくにこれを抄訳連載することにした。即位と退位光緒三十四年十月、西太后は頤和園(イーホーユワン)で七十四歳の誕生日をむかえたが、赤痢で病床にふし、十日目にとつぜん世継ぎを立てることを決定した。
Author: 愛新覚羅溥儀(アイシンチユエロープーイー) Year 1964 Issue 4 PDF HTML
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3. 元皇帝の回想記
皇帝に三度もなった愛新覚羅溥儀氏は、げんざい一市民として自国の社会主義建設にはげんでいる。氏はこのほど波瀾にとむ人生の前半分の手記―『我的前半生』(わが人生の半分)を脱稿したが、本誌では出版に先がけてとくにこれを抄訳連載することにした。出宮一九二四年、国民軍に追いだされるまで、わたしは〈宮禁〉という小天地のなかで皇帝さまさまの毎日をおくった。わたしは、この世でもっとも無意味な少年時代をここですごし
Author: 愛新覚羅溥儀(アイシンチユエロープーイー) Year 1964 Issue 5 PDF HTML
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4. 元皇帝の回想記
三たび皇帝になった愛新覚羅薄儀氏は、げんざい、一公民として中国の社会主義建設にはげんでいる。氏はこのほど、波瀾にとんだ人生の前半の記録―『我的前半生』(わたしの前半生)を著述した。これはその抄訳である。天津にて天津(テンチン)にきてからわかったことだが、「住居の用意はととのいました」という羅振玉(ローチエンユイ)の言葉は、事実とちがっていた。そこでわたしはとりあえず大和ホテルに一日とまった。よく日
Author: 愛新覚羅溥儀(アイシンチユエロープリイン) Year 1964 Issue 6 PDF HTML
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5. 元皇帝の回想記
三度皇帝になった愛新覚羅溥儀氏は、げんざい、一公民として自国の社会主義建設にはげんでいる。氏はこのほど、波瀾にとんだ人生の前半分の手記―『我的前半生』(わが人生の半分)を著述した。これはその抄訳である。崩壊わたしはかいらい皇帝を十二年つづけてきたが、崩壊の日がついにやってきた。一九四五年八月九日の朝、さいこの関東軍司令官となった山田乙三が、参謀長秦彦三郎をともなって同徳殿に顔をみせ、ソ連が日本に宣
Author: 愛新覚羅溥儀(アイシンチユエローブーイー) Year 1964 Issue 8 PDF HTML
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6. 元皇帝の回想記【第七回】
三度皇帝になった愛新覚羅溥儀氏は、げんざい、一公民として自国の社会主義建設にはげんでいる。氏はこのほど、波瀾にとんだ人生の前半分の手記―『我的前半生』(わが人生の半分)を著述した。これはその抄訳である。罪の否定気位をすてず学習にもはげまなかったので、わたしの思想は全然変らず自分の罪をみとめようともしなかった。法の前には、自分が国を裏切った罪を問われなければならないことを承知していた。しかし、わたし
Author: 愛新覚羅溥儀(アイシンチユエローブーイー) Year 1964 Issue 9 PDF HTML
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7. 元皇帝の回想記
三度皇帝になった愛新覚羅溥儀氏は、げんざい、一公民として自国の社会主義建設にはげんでいる。氏はこのほど、波瀾にとんだ人生の前半分の手記―『我的前半生』(わが人生の半分)を著述した。これはその抄訳である。撫順にて撫順(フーシユン)に着くまで、汽車の中ではいろんな虫のいい臆測が交され、車内の空気はがらりと変っていた。瀋陽(シエンヤン)でもらった巻タバコをふかしながら、みんなは愉快そうに語り合っていた。
Author: 愛新覚羅溥儀(アイシンチユエロープーイー) Year 1964 Issue 10 PDF HTML
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8. 元皇帝の回想記〔第九回〕
三度皇帝になった愛新覚羅溥儀氏は、げんざい、一公民として自国の社会主義建設にはげんている。氏はこのほど、波瀾にとんだ人生の前半分の手記―『我的前半生』(わが人生の半分)を著述した。これはその抄訳である。ハルピンヘハルピンヘ向う車中では、数人の若い連中がおもしろそうに談笑したり、看守たちとトランプをやっているだけで、ほかの者はきわめて口数が少なく、しゃべっても声に張りがなく、車内はひっそりしていると
Author: 愛新覚羅溥儀(アイシンチユエロープーイー) Year 1964 Issue 11 PDF HTML
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9. 元皇帝の回想記〔第十回〕
三度皇帝になった愛新覚羅溥儀氏は、げんざい、一公民として自国の社会主義建設にはげんでいる。氏はこのほど、波瀾にとんだ人生の前半分の手記―『我的前半生』(わが人生の半分)を著述した。これはその抄訳である。小家族の変化〈人民にとって価値があるのは、改造された人間である〉という所長の言葉の意味を理解できたのは、それから何年かあとのことであった。当時は、ただ、〈改造すべきだ〉と言うのだから、すぐには危険も
Author: 愛新覚羅溥儀(アイシンチユエローブーイー) Year 1964 Issue 12 PDF HTML
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10. 元皇帝の回想記〔第十二回〕
三度皇帝になった愛新覚羅溥儀氏は、げんざい、一公民として自国の社会主義建設にはげんでいる。氏はこのほど、波瀾にとんだ人生の前半分の手記―『我的前半生』(わが人生の半分)を著述した。これはその抄訳である。身から出たさび日本の侵略者が東北地方にもたらした災難について、わたしは、それまで具体的に聞いたこともなかったし、あまり関心も持っていなかった。東北地方の人民の恨みについてはいくらか知ってはいたが、そ
Author: 愛新覚羅溥儀(アイシンチユエロープーイー) Year 1965 Issue 2 PDF HTML