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Your search : [ author:恵春 え·毛水仙] Total 16 Search Results,Processed in 0.146 second(s)
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1. 春節雑感
二月の北京はなお寒い。天安門前の外堀の氷はまだ解けていない。五キロも続く長安街の両側に並んだ柳の街路樹もまだ芽を吹いていない……。だが、そのころ北京ははや春節一色に彩られる。花屋は春の訪れを知らせる紅梅や迎春花を買う客で埋まり、デパートのショーウインドーは模様がえし、店頭には春節用の商品が並ぶ。なかでも食品市場は一段とにぎわいを見せる。野菜、魚、豚肉、調味料などの売り場の前は、買物客でいっぱいであ
Author: 恵春 え·毛水仙 Year 1978 Issue 2 PDF HTML
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2. あらし(上)
一ここは南海の海辺に近い中国人民解放軍の農場である。二千ヘクタールをこえる稲田は、六月もなかばになると降りそそぐ太陽の光をうけてこがね色にかがやく。この見事な眺めに人びとは心をはずませ、思わずつぶやくのだ。「頭をたれて七日、こがね色して七日か、あと十日ばかりでいよいよ刈とりだなあ!」ちょうどこの大切な時期に、とつぜん地もとの気象台から台風警報が出された。今年になって二番目の大型台風が真っこうからお
Author: 洪揚 梁信 え·毛水仙 Year 1975 Issue 2 PDF HTML
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3. あらし(下)
四人民公社の事務所は農場の事務所から五、六キロのところにある。よく気のつく主任は、小応(シヤオイン)がでかけたあと、さっそく公社の宋書記に電話をかけ、書記と黄老人が小応を助けてくれるよう頼んだ。小応が公社の測候所のドアを静かにあけてはいると、測候員の小田(シヤオテエン)は机の上の報告書をまえにほほづえをついて考えこんでいた。足音に気付いたかの女は小応をあたたかく迎えいれた。二人の話し合った結論は一
Author: 洪揚 梁信 え·毛水仙 Year 1975 Issue 3 PDF HTML
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4. 医師(せんせい)と看護婦〈下〉
詰所に入った呂雲帆(リユイユンフアン)は、アルミニウムの箱をガチャンと机のうえへおくと、プンプンしながら腰をおろし、頭をかきむしって向かい側の方燁(フアンイエ)に言った。「二十七号ベッドの便をこれからも検査するんだって?」方燁は静かにうなずいた。「小方、(ンヤオフアノ)人をうたがうにもほどがあるじゃないか」呂雲帆は単刀直入だった。「医師は看護婦の意見を尊重しなくてはならないし、看護婦にも学ばなくて
Author: 張幼華 周杏芳 え·毛水仙 Year 1976 Issue 2 PDF HTML
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5. 北京を沸かした友情のタクト
あれから早くも数ヵ月が経過したが、中国の音楽関係者はもちろん、音楽ファンのあいだでも、さる六月、中国を訪問して指揮棒をとった日本の音楽家小沢征爾氏のことがよく話題に出る。それほど小沢氏は強烈な印象を残していった。おりしも、中国の音楽界は新しい夜明けを迎えている。中日の音楽交流も活発になろうとしている。音楽の秋を迎えたいま、改めて小沢氏の北京における数日間をふりかえってみよう。初公演六月十五日、小沢
Author: 恵春 Year 1978 Issue 10 PDF HTML
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6. 中日友好もちつき大会
師走の北京はうきうきした雰囲気にあふれている。どこもかしこも「新年聯歓会」―日本流にいえば忘年会―が開かれ、めでたい新年を迎えようとしている。そうしたなかで、中国対外友好協会と中日友好協会によるユニークな忘年会―中日友好もちつき大会が十二月三十日、中日友好協会講堂で開かれた。参加者のうち半分以上は子供で、ほとんどが中日友好協会付近の東交民巷小学校の一、二年生と日本人学校の生徒たちである。中国共産党
Author: 恵春 Year 1985 Issue 4 PDF HTML
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7. 中国で好評の日本映画
みんな知ってる「真由美」いま、中国の若者たちのあいだで、一番有名な日本人といえば、まずは「真由美」さんということになるだろう。中国読みにして「チェンユーメイ」といえば、大ていの若者が知っている。実はこれ、先年、中国各地で上映された日本映画「君よ憤怒の河を渉(わた)れ」(中国名「追捕」大映作品)のヒロインの名で、女優中野良子さんのことなのである。昨年五月下旬、華国鋒総理の日本訪問にさいし、中国大使館
Author: 李恵春 Year 1981 Issue 1 PDF HTML
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8. 広がる読者の輪
日本の各地に本誌の読者会ができているが、このほど、またユニークな会が発足した。昨年八月五日の朝、わたしは埼玉県飯能市中国三誌(人民中国、北京週報、中国画報)読者の会発会総会に出席するため、飯能市に赴き、発起人の西野長治さんに迎えられた。会場の飯能市富士見公民館では、友子さんという若い女性から胸につけるゲスト用の美しい造花を渡された。あとでわかったのだが、これは買ったものではなく、三谷さんという女性
Author: 李恵春 Year 1991 Issue 1 PDF HTML
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9. “鬼の大松”のお墓参りをした中国の“魔女”たち
五月のある日、友人の大松美智代さんから電話があった。彼女は十三年前に亡くなった大松博文先生の夫人である。「中国のママバレーチームが来るそうです。その中に昔主人の訓練を受けた人が何人かいます。取材しませんか」願ってもないことである。さっそく主催側の日中文化事業社に取材希望を申し入れ、専務の横尾了氏から三つ返事で了承を得た。六月三日、東京は梅雨に入った最初の日だそうで、小雨に濡れていた。わたしは大松さ
Author: 李恵春 Year 1991 Issue 9 PDF HTML
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10. 記事が縁で、縁が縁を生んで
本誌の一月号で埼玉県飯能市中国三誌(『人民中国』『北京週報』『中国画報』)読者会のことを紹介した。タイトルは「広がる読者の輪」である。それからほどなく、仙台市に住む佐竹紀さんという未知の方から電話があった。その記事を読んで興味を持ち、自分たちのところでもそのような会をつくって、中国と交流したいので相談にのってほしい、というのである。編集者にとっては、読者の反響を聞くほど嬉しいことはない。佐竹さんは
Author: 李恵春 Year 1991 Issue 12 PDF HTML