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Your search : [ author:孟越(モンユエ)] Total 8 Search Results,Processed in 0.087 second(s)
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1. 新しい町 通什
海南島(ハイナンタオ)最大の町海口(ハイコウ)市から、楡林(ユイリン)行きの長距離バスに乗り、五指山(ウーチイシヤン)の阿陀嶺(アトーリン)(標高九〇〇メートル)を越え、曲がりくねった山ぞいの新設国道をきらに南下すると、五指山のふもとに新しい町があらわれる。これが海南島リー(黎)族·ミャオ(苗)族自治州の中心地―通什(トンシー)だ。清潔な街並みは木々の緑にいうどられ、五指山をくだる南聖河(ナンシヨ
Author: 孟越(モンユエ) Year 1965 Issue 3 PDF HTML
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2. 閔行
上海(シヤンハイ)市の周辺には、解放後たくさんの工場地帯が生まれた。工場の近くには、労働者新村(住宅)をはじめ、商店、学校、病院などがつぎつぎに建ち、独立の都市を形成するようになった。閔行(ミンハン)はそれらのうちでも、比較的に有名な町のひとつである。上海市内の西南端から南に向かってバスに約一時間も乗ると関行につく。町をつらぬく広い通りには、緑の街路樹がつづき、クリーム色や薄茶色、グレイなど色とり
Author: 孟越(モンユエ) Year 1965 Issue 5 PDF HTML
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3. 新しい町 昭覚
四川(スーチワン)省の西南部にある三万平方キロあまりの涼山(リヤンシヤン)地区は、少数民族のイ(彝)族の最大の居住地区である。ここにはおよそ七〇万のイ族の人たちが住んでいる。四川省の成都(チヨントウ)から民間航空の定期便で西昌(シーチヤン)へとび、そこから自動車で東へ山道をぬって五時間ほど走ると、突然ひろびろとした平原がひらけ、車はにぎやかな町にはいる。ここが、涼山イ族自治州の昭覚(チヤオチユエ)
Author: 孟越(モンユエ) Year 1965 Issue 6 PDF HTML
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4. 新しい町 タシクルカン
解放前中国の西部辺境のある地方には、県の制度はしかれていたが、都市の建設はやられていなかった。そんな状態なので文化教育、衛生事業、商業などの施設にはみるべきものがなかった。当時の支配者はわが身の安全をまもるためのとりでをきずくだけで、牧畜民はそのとりでのまわりの広ばくとした荒野にちりぢりに住んでいた。解放当初、ところによっては人民政府の事務所さえきまった場所がなく、係員は事務用品や書類をラクダか馬
Author: 孟越(モンユエ) Year 1965 Issue 7 PDF HTML
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5. 新しい町 凱里
貴州(クエイチヨウ)省の省人民委員会の所在地である貴陽(クエイヤン)から自動車に乗って東南へ向かうと、その日のうちに凱里(カイリー)に着くことができる。凱里は少数民族の集り住む新興の町で、人口三万、まわりを山にかこまれ、青あおとした清水江(チンシユイチヤン)が町の東を流れている。広びろとした大通りの両側には、みどりの並木がかげを落とし、町のいちばんにぎやかなところに花園がある。そのあたり一帯に、労
Author: 孟越(モンユエ) Year 1965 Issue 8 PDF HTML
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6. 宝泉嶺
黒竜江(ヘイロンチヤン)省の北から東にかけて「北大荒」とよばれる大荒原地帯がある。宝泉嶺(パオチワンリン)はこの荒原地帯にある新興農業都市である。宝泉嶺の建設は一九五〇年の四月から始まった。この地の最初の開拓者は五〇〇〇人余りの復員軍人であった。この人たちは、雪がようやくとけはじめた春もまだ肌寒い季節にやってきて、わずか七ヵ月のあいだに、三万平方メートル以上の建物をたて、大小一五の橋をかけ、鶴崗(
Author: 孟越(モンユエ) Year 1965 Issue 9 PDF HTML
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7. 閘 坡
広東(クワントン)省陽江(ヤンチヤン)県海陵(ハイリン)島の西南部に閘坡(チヤポー)という漁港がある。五〇〇年ほどまえに開港されたそうだが、いまでは南海一帯の漁業の基地となっている。解放まえ、漁民はひどい搾取をうけ、閘坡はたちおくれた状態にあった。漁港にはいくつかの建物があったが、それは官僚、網元、ボスや資本家のものだった。漁民で家をもっているものはほとんどいなかった。陸(おか)にいるものといえば
Author: 孟越(モンユエ) Year 1965 Issue 10 PDF HTML
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8. 新しい町 シリンホト
シリンホト(錫林浩特)―蒙古語で草原の町という意味。内蒙古(ネイモンクー)自治区の中心地フホホトから飛行機で大青山(ターチンシヤン)を越え、草原を眼下にながめながらゆくこと約二時間でシリンホトにつく。シリンホトの名は、遠く地平線につらなる草原での新しい生活を意味するだけではない。それは草原のうつり変わりを人びとの胸によみがえらせてくれる。いまから二〇〇年ほどまえのこのあたりはまったく無人の原野だっ
Author: 孟越(モンユエ) Year 1965 Issue 12 PDF HTML