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Your search : [ author:周建] Total 8 Search Results,Processed in 0.093 second(s)
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1. 工場で労働者に奉仕する慢性病研究班
北京ではたいていの工場に医務室があって、医師や看護婦が労働者·職員の健康相談や病気の治療にあたっている。そうした工場の医務室では、漢方医学と西洋医学を結合させ、高血圧とか潰瘍とかを治療して、なかなかよい成果をあげている。最高血圧二〇〇、最低血圧一二〇〇患者に、新しい療法を用いたところ、血圧はだんだんにさがって正常となり、自覚症状もなくなり、元気になったという例も少なくない。新しい療法は潰瘍にもよい
Author: 周建 Year 1974 Issue 10 PDF HTML
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2. 中国文化革命の先駆者―魯迅
(筆者は魯迅の実弟で、魯迅の親しい戦友でもあった。現在は全国人民代表大会常務委員会副委員長、浙江省革命委員会副主任の職にある)今年の九月二十五日は、わが国における文化革命の先駆者―魯迅(一八八一~一九三六年)の誕生九十周年にあたる。このほど『中国建設』編集部から魯迅について話してほしいという依頼をうけた。だが、魯迅にたいしてわたくしは多く語れそうにもない。魯迅を誰よりもよく理解し、魯迅を誰よりも正
Author: 周建人 Year 1971 Issue 9 PDF HTML
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3. 魯迅の革命精神に学ぼう
ことしの九月二十五日は、わが国における文化革命の先駆者―魯迅の生誕九十三周年にあたる。魯迅は青年時代に日本に留学(一九〇二年)したが、その時からすでに七十二年の歳月が流れた。仙台の医学専門学校に入学したのは、一九〇四年、今から七十年前のことである。魯迅は日本に多くの友人を持っていた。このたび『人民中国』編集部から、日本の友人たちのために魯迅について書いてほしいという依頼をうけた。実は魯迅については
Author: 周建人 Year 1974 Issue 9 PDF HTML
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4. 新たに発見された魯迅の題詩
魯迅が一九三〇年九月に、医者をしている親戚に書きおくった詩一首がさいきん発見された。雑誌『文物』の編集部から、この詩について何か書いて欲しいと言われたが、実のところ、わたしは詩については門外漢である。そこで、これを学んで理解したこと、考え及んだことを、浅薄なものだとは知りつつ書き記すことにした。一殺人有将,救人為医。殺了大半,救其孑遺。小補之哉,烏乎噫嘻!人を殺すに将あり人を救うを医と為す大半を殺
Author: 周建人 Year 1976 Issue 9 PDF HTML
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5. 白内障の新しい治療法
千年あまりまえから中国の漢方医は手術によって白内障を治療していた。この手術は「金針撥障術」と呼ばれた。唐代(六一八~九〇七年)から清代(一六四四~一九一一年)にいたるまでに著わされた『諸病源候総論』『外台秘要』『竜術論』『目経大全』などの医書には、白内障の病原、症状、手術の方法、手術後の看護について記されている。漢方医学研究院に属する北京広安門病院眼科の医師は、現代医学の理論と方法を応用して、古代
Author: 本誌記者 周建 Year 1973 Issue 10 PDF HTML
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6. 助手
一陳新(ツエンシン)外科部長は、外科部党支部委員会の会議を終えて、部長室にもどってくると、新しい手術カードを一枚とりだし、ペンを走らせた。コピーを取りおえたとき、すぐうしろで笑い声がおこった。ふりむくと、手術係の看護兵の何三妹(ホーサンメイ)ではないか。いつのまにやってきたのか、こっそりのぞいていたらしい。陳部長はペンを置くと、ひとさし指で何三妹をさしながら、「きみという人はしようがない人だな……
Author: 楊光第 え·周建夫 Year 1975 Issue 9 PDF HTML
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7. 鍬(くわ)の柄
曲ったことが大きらい、堅物の「くわの柄」君が、とても嫁の来手がないと言われて……くわの柄韓家山かいわいの農民のあいだには、「くわの柄」という一種独得の悪口がある。農民たちは使いやすい道具をよろこび、とくに、いろいろな道具の柄についてはうるさい。使いぐあいはどうか、なめらかか、丈夫かと、凝るのである。韓家山の村には何代も前から使ってきたというくわの柄を持っている家がたくさんある。もともと、くわ―镢(
Author: 張石山 え·周建夫 Year 1981 Issue 3 PDF HTML
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8. 「荒くれどん」の縁談
唐家洼(タンチヤワー)生産隊に、見所のある若者がいた。なまえを王河(ワンホー)といって、この大隊の貧農·下層中農協会の役員だった。いつも先頭にたってはたらき、鼻息もあらいので、みんなから〈荒くれどん〉とあだなされていた。背がたかくて、肩はばもひろく、赤黒い顔で、目はなだちのくっきりとした、みるからにたくましそうな若者だった。ことしもう二十七になるので、母親は二年ほど前から嫁さがしを人にたのんでいた
Author: 鹿秉中(ルーピンチユン) え·周建夫(チヨウチエンフー) Year 1965 Issue 11 PDF HTML