聞き手 王衆一『人民中国』総編集長とき 二〇〇七年四月二十二日ところ 劉徳有氏の自宅―今年は中日国交正常化三十五周年。この三十五年の中国と日本の関係は、まさしく山あり谷ありでした。その歴史を振り返って見ますと、とくに言葉とコミュニケーションの大切さと、微妙な違いからくる難しさを感じます。その意味で、中日国交正常化前史の時代から、完壁な日本語で、中日両国の交流に励んでこられた劉先生、そして今日も日本...
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聞き手 王衆一『人民中国』総編集長とき 二〇〇七年四月二十二日ところ 劉徳有氏の自宅―今年は中日国交正常化三十五周年。この三十五年の中国と日本の関係は、まさしく山あり谷ありでした。その歴史を振り返って見ますと、とくに言葉とコミュニケーションの大切さと、微妙な違いからくる難しさを感じます。その意味で、中日国交正常化前史の時代から、完壁な日本語で、中日両国の交流に励んでこられた劉先生、そして今日も日本...