円仁一行は、五台山を目指して西へ巡礼の本道をたどった。宿は、信者団体をいつでも受け入れる宿坊だった。円仁はこれを「普通院」と呼んでいる。円仁日記に以下のくだりがある。「……八四〇年旧暦四月二十三日。西北に進んで黄山の八会寺に着き、休憩して中食に黍(きび)飯を食べた。当今の人は、ここを上房普通院と称している。これまで常に飯粥を用意して、僧俗を問わず来たる者には宿を提供してきた。食する物があれば与え、...
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円仁一行は、五台山を目指して西へ巡礼の本道をたどった。宿は、信者団体をいつでも受け入れる宿坊だった。円仁はこれを「普通院」と呼んでいる。円仁日記に以下のくだりがある。「……八四〇年旧暦四月二十三日。西北に進んで黄山の八会寺に着き、休憩して中食に黍(きび)飯を食べた。当今の人は、ここを上房普通院と称している。これまで常に飯粥を用意して、僧俗を問わず来たる者には宿を提供してきた。食する物があれば与え、...