清の光緒3年(1877年)、碑文などに興味を持っていた1人の役人が、偶然、荒れ野の草むらの中から、巨大な石碑を見つけた。それは、千年以上も前に消失した古い国·高句麗か、もう一度私たちの前にその姿を現した瞬間でもあった。この石碑は、吉林省集安市郊外に立っている「好太王碑」である。七百余年の高句麗政権「好太王(広開土王)碑」の碑文や『魏書』『三国史記』などによると、高句麗の始祖とされる朱蒙についてこう...
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清の光緒3年(1877年)、碑文などに興味を持っていた1人の役人が、偶然、荒れ野の草むらの中から、巨大な石碑を見つけた。それは、千年以上も前に消失した古い国·高句麗か、もう一度私たちの前にその姿を現した瞬間でもあった。この石碑は、吉林省集安市郊外に立っている「好太王碑」である。七百余年の高句麗政権「好太王(広開土王)碑」の碑文や『魏書』『三国史記』などによると、高句麗の始祖とされる朱蒙についてこう...