私は、三月下旬三回目の杜甫の旅に出ました。昨年一回目と二回目の旅をして、いよいよ最後の旅です。一時の安住を得た成都を去って三峡を下るのです。皇帝に仕え人民の安寧を願う指導者として一身を捧げようとした杜甫にとって、この最後の旅は、夢破れ病の苦しみを供としてのあてどもない旅でした。その中にあって、杜甫の詩は最後の輝きを見せます。代宗の永泰元年(七六五)五月、成都の草堂を捨てた杜甫は、五十四歳。嘉州(四...
Please login first!
私は、三月下旬三回目の杜甫の旅に出ました。昨年一回目と二回目の旅をして、いよいよ最後の旅です。一時の安住を得た成都を去って三峡を下るのです。皇帝に仕え人民の安寧を願う指導者として一身を捧げようとした杜甫にとって、この最後の旅は、夢破れ病の苦しみを供としてのあてどもない旅でした。その中にあって、杜甫の詩は最後の輝きを見せます。代宗の永泰元年(七六五)五月、成都の草堂を捨てた杜甫は、五十四歳。嘉州(四...