乾元二年(七五九)十二月、杜甫は長い苦しい旅の末に成都にたどり着きました。その時の思いを杜甫は、「成都府」の中で「喧然(けんぜん)たる名(めい)都(と)会(かい)、簫(しょう)を吹(ふ)き笙簧(しょうこう)を間(まじ)う。信(まこと)に美(び)なれども与(とも)に適(てき)する無(な)し、身(み)を側(そば)だてて川梁(せんりょう)を望(のぞ)む」と詠んでいます。にぎやかな大都会に来てその素晴らし...
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乾元二年(七五九)十二月、杜甫は長い苦しい旅の末に成都にたどり着きました。その時の思いを杜甫は、「成都府」の中で「喧然(けんぜん)たる名(めい)都(と)会(かい)、簫(しょう)を吹(ふ)き笙簧(しょうこう)を間(まじ)う。信(まこと)に美(び)なれども与(とも)に適(てき)する無(な)し、身(み)を側(そば)だてて川梁(せんりょう)を望(のぞ)む」と詠んでいます。にぎやかな大都会に来てその素晴らし...