私は、今二度目の杜甫の旅をしています。生誕から終焉の地へ今日でも並大抵の旅ではありません。ですから、杜甫の時代にあっては、言語を絶する苦難の旅であったはずです。中でも乾元(けんげん)二年(七五九)長安から成都への旅は、理解しがたい困難な旅であったと思うのです。杜甫と同じ路を歩いていると、杜甫に出会います。路行く人に「なぜこの路を行くのですか」と声をかけたくなるのです。杜甫は、家族を連れ親戚や知人を...
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私は、今二度目の杜甫の旅をしています。生誕から終焉の地へ今日でも並大抵の旅ではありません。ですから、杜甫の時代にあっては、言語を絶する苦難の旅であったはずです。中でも乾元(けんげん)二年(七五九)長安から成都への旅は、理解しがたい困難な旅であったと思うのです。杜甫と同じ路を歩いていると、杜甫に出会います。路行く人に「なぜこの路を行くのですか」と声をかけたくなるのです。杜甫は、家族を連れ親戚や知人を...