私の知人に、「先生」と仰いだ日本のある大企業の社長がいた。先生は十四年前に他界されたが、生前よくこんな話をしてくれた。自分が一介の社員から、社長まで務められたのは、ある信念に支えられていたからだ。それが「春聴」である、と。それは、先生が青年時代に、上海の東亜同文書院で学んでいた時のことだ。ある日、中国の寺を見学して、一人の老僧と出会った。二人は話すほどに、意気投合した。寺を離れる時に、老僧が言った...
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私の知人に、「先生」と仰いだ日本のある大企業の社長がいた。先生は十四年前に他界されたが、生前よくこんな話をしてくれた。自分が一介の社員から、社長まで務められたのは、ある信念に支えられていたからだ。それが「春聴」である、と。それは、先生が青年時代に、上海の東亜同文書院で学んでいた時のことだ。ある日、中国の寺を見学して、一人の老僧と出会った。二人は話すほどに、意気投合した。寺を離れる時に、老僧が言った...