(一)一八七七年(光緒三年·明治十年)中国の清朝政府は、初めての駐日公使団を派遣した。公使は何如璋、副公使は張斯桂、参賛(参事官)は黄遵憲であった。当時清朝には、今日のような職業外交官はいなかった。彼らは中国の科挙試験の合格者から選ばれた。このように公使団の主要メンバーは、みな当時中国の一流の文人で、進士や挙人の出身者である。彼らは儒教の「四書五経」に詳しく、詩文辞章は巧み、文才豊かな人々だった。...
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(一)一八七七年(光緒三年·明治十年)中国の清朝政府は、初めての駐日公使団を派遣した。公使は何如璋、副公使は張斯桂、参賛(参事官)は黄遵憲であった。当時清朝には、今日のような職業外交官はいなかった。彼らは中国の科挙試験の合格者から選ばれた。このように公使団の主要メンバーは、みな当時中国の一流の文人で、進士や挙人の出身者である。彼らは儒教の「四書五経」に詳しく、詩文辞章は巧み、文才豊かな人々だった。...