一九九七年一月二十八日、湖北省武昌金口鎮の長江水面上に赤い信号弾が打ち上げられると、長い間水中に没していた中山号が、大勢の人が固唾をのんで見守る中をゆっくりと姿を表した。中山号は全長六二メートル、幅九メートル、排水量七八〇トンで、一九一〇年に清朝政府が日本の三菱造船に発注し、十三年に完成して当時の第一艦隊に編入された。初めの名は永豊号である。一九三八年十月、有名な武漢防衛戦で奮戦したが、二十四日金...
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一九九七年一月二十八日、湖北省武昌金口鎮の長江水面上に赤い信号弾が打ち上げられると、長い間水中に没していた中山号が、大勢の人が固唾をのんで見守る中をゆっくりと姿を表した。中山号は全長六二メートル、幅九メートル、排水量七八〇トンで、一九一〇年に清朝政府が日本の三菱造船に発注し、十三年に完成して当時の第一艦隊に編入された。初めの名は永豊号である。一九三八年十月、有名な武漢防衛戦で奮戦したが、二十四日金...