一九九六年十月下旬、湖南省長沙で三国時代に同地方を支配した呉国の歴年史を記録した簡牘(簡は竹片、牘は木片)が大量に発見され、専門家を狂喜させている。これらの簡牘は、長沙市の中心にある五一広場の南東部にあった古井戸から見つかったもので、この井戸の位置が昔の走馬楼街五十号の下になるところから「走馬楼簡」と命名された。現在ここでは、日本の平和堂株式会社が一億ドルを投じて商業ビルを建設中であるが、用地内で...
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一九九六年十月下旬、湖南省長沙で三国時代に同地方を支配した呉国の歴年史を記録した簡牘(簡は竹片、牘は木片)が大量に発見され、専門家を狂喜させている。これらの簡牘は、長沙市の中心にある五一広場の南東部にあった古井戸から見つかったもので、この井戸の位置が昔の走馬楼街五十号の下になるところから「走馬楼簡」と命名された。現在ここでは、日本の平和堂株式会社が一億ドルを投じて商業ビルを建設中であるが、用地内で...