錦江は四川の西南から東流する黄金水道で、今世紀五〇年代に至るまで商船の往来が絶えなかった。「天府の国」成都は「水によって興き、水によって栄える」といわれ、それゆえに成都人はみなこの河を「母なる河」と称しているのである。しかしその後、さまざまな影響を受けて錦江はだんだん濁ってきた。特に市区内を流れる十二余キロの二本の河川―府河と南河(成都城の堀)の汚染はひどくなっていた。河岸は低く、河道は狭隘で洪水...
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錦江は四川の西南から東流する黄金水道で、今世紀五〇年代に至るまで商船の往来が絶えなかった。「天府の国」成都は「水によって興き、水によって栄える」といわれ、それゆえに成都人はみなこの河を「母なる河」と称しているのである。しかしその後、さまざまな影響を受けて錦江はだんだん濁ってきた。特に市区内を流れる十二余キロの二本の河川―府河と南河(成都城の堀)の汚染はひどくなっていた。河岸は低く、河道は狭隘で洪水...